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ページID:106708更新日:2023年2月8日

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No.533 直角カーブの道、甲府金手町とはどのような町だったか

 

 遺跡トピックス

 昔の道について、現在は舗装されて、幅も広げられ、車が頻繁に行き来し、沿道には新しい建物が立ち並ぶ、という所は珍しくありません。このような道に昔の面影を追い求めるのは難しいことですが、道筋の大まかなルートは、江戸時代(またはそれ以前)と大して変わらないということも珍しくありません。 

 

 金手のクランク

 甲府市中心部から国道411号(城東通り)を東に向かってみましょう。このルートは江戸時代の甲州道中です。ほぼまっすぐに進んだと思うと、城東1丁目で道が直角に北に曲がり、少し行くと同じように東に折れる、つまり大きくクランクしている場所に行き当たります。現代人、特にドライバーにしてみれば、「通りにくさ」を感じる場所です。

 金手のクランク(南側から)←金手のクランク(南側から)

 これは甲府城下を守るため、敵の軍勢のスムーズな移動を妨げるように、あえてこのような道筋にしました。この曲がり角に位置したのが金手(かねんて)町です。町名は江戸時代から昭和38年(1963)まで続き、現在の城東1丁目を中心とする地域に成立した町です。「かねんて」の由来は、曲がったものさしである曲尺(かねじゃく)に由来するとも、「鍵手(かぎのて)」が訛ったともいいます。いずれにしろ、クランク状の道筋を特徴とする町であることを示しています。さらに文字で記された史料からは、金手町の興味深い歴史も知ることができます。

 甲府城下の盛り場?

  金手町の南に教安寺(きょうあんじ)、東には尊躰寺(そんたいじ)という二つの浄土宗寺院があります。尊躰寺は、大永元年(1521)に武田信虎が柳小路(現甲府市武田3丁目)に創建して、武田家滅亡後、甲府城の整備に合わせて現在地に移転しました。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの後、甲府は徳川家康が支配しますが、城代を務めたのが平岩親吉(ちかよし)、代官頭として腕を振るったのが、武田家の旧臣・大久保長安(ながやす)で大久保墓す。長安は尊躰寺に帰依し、寺を拡張して名称を大安寺と改めることを計画します。結局、長安が死去し実現しませんでしたが、金手町の北に「大安寺長屋」の地名が残ったといいます。

 

 

←大久保長安の墓とされる無縫塔(尊躰寺)

 

大安寺前

 

 

 

かつての「大安寺長屋」の周辺→

 

 

 

 19世紀に柳町(現甲府市中央)の俳人・布能(ふのう)氏がまとめたという「峡中故事記」によると、享保年間(1716~36)までの話として、金手町に「虎屋」といううなぎ屋があり、「大安寺前」には六右衛門なる者が「蕎麦切(そばきり)茶屋」を開いていたとあります。六右衛門のそば屋は遊女を置いていたらしく、通いつめる人も多かったみたいです。

 17世紀後半の甲府徳川家時代には、町奉行所から何回かそば屋に対して風紀改善の命令が出されます。天和2年(1682)には、金手町のそば屋3名、西隣の工(たくみ)町のそば屋・もち屋各2名、柳町のそば屋2名が、今後はむさくるしい者は泊めません。怪しい者が来たらお知らせします、と町奉行所に文書を出しました。ということは、怪しい者が泊まりがけで遊べるような場所が金手町のそば屋だったのでしょう。接待をする女性もいて、江戸時代前半の金手町は甲府城下の盛り場だったとみてよいでしょう。

 芝居小屋の引っ越しの影響

  時代が進み、明和2年(1765)には、金手町の教安寺境内に芝居小屋(亀屋座)が開業し、町の賑わいに輪をかけました。しかし、享和3年(1803)の城下の大半を焼きつくした大火で、亀屋座が西一条町(現甲府市若松町)に移転すると、飲食店は西に移るようになり、盛り場の賑わいも柳町などにとって代わられます。幕末から明治の甲府のお店ガイド「甲府買物独(ひとり)案内」には、金手町に足袋(たび)屋・金物(かなもの)屋・提灯(ちょうちん)屋などがみえますが、飲食店は載っていません。さらに明治以降は甲府駅の開業などで、盛り場はさらに西に移り、賑わいは金手町から遠く離れてしまいました。

 

 

 

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