更新日:2019年3月13日

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西桂町の遺跡

0089宮の前遺跡の敷石住居

 

富士山活動がおよぼした宮の前遺跡周辺様子(西桂町・都留市)~郡内地域を覆う溶岩流と火山灰~

富士山の造山活動

0492_宮の前遺跡から富士山を望む

宮の前遺跡から富士山を望む

 富士山の誕生は、それまで長期にわたり温暖であった気候に変化が生じ始め最終氷河期に向かう8万年前頃だと考えられています。ちなみに、この約8万年前には今も盛んに火山活動している木曽御嶽山が大爆発して、山梨県内は言うにおよばず、関東一帯に大量の軽石を降らせています。
 富士山の造山活動は今のところ、古富士火山前期(8~6万6千年前)、続いて古富士火山後期(6万6千年~1万年前)、最後は新富士火山期(約1万年以降から現代まで)と3時期に大きく分けられています。
 その中で最後の新富士火山期に目を向けてみましょう。当期はさらに1.~3.期に細分されています。1.期は1万から3,200年前とされて、全国的にみると海水の進入(縄文海進)があった時期にあたり、大規模な溶岩の流出と小規模なテフラ(噴火口から放出されて火山周辺や風下などの広い範囲に堆積した降下火口火山砕屑物の総称)の噴出がみられます。気候は大変に温暖であった時代です。
0492_敷石住居跡 0492_スコリア層

宮の前遺跡の曽利式敷石住居跡と観察されたテフラ・スコリア層

 2.期は3,200年前から西暦1,707年(宝永の大噴火)までと捉えられています。この時期には、縄文時代後期の大爆発・気候悪化・小海退などがあり間氷期から氷期へと気候が移っていく動きがみられます。富士山では中規模な溶岩の流出や中・小規模な火砕流や火山泥流が発生しています。西桂町史などを紐解くと縄文時代中期後半の曽利3.式期にテフラが降り、2,003年の宮の前遺跡の発掘調査においても、そのテフラやスコリア(火山砕屑物の一種で赤から黒色の多孔質の岩片)が敷石住居跡や配石遺構の上層からも確認されています。
最後に、3.期は西暦1,707年から現代までが3.期となります。今から310年ほど前の1,707年の宝永の大噴火は、富士山の造山活動の中でも大規模なもので、静岡側の山体から噴火し、初めて軽石を噴出させています。その後、富士山は大規模な造山活動を休止しています。
0492_静岡側から見た富士山

静岡側から見た富士山(右肩に宝永山が見える)

郡内地域に流れ出した泥流や溶岩流

 富士山は噴火のほかに数度に渡って山体やその周辺から火砕流・泥流・溶岩流などを流出させています。都留市・西桂町周辺にどのような影響をおよぼしたのでしょうか。御坂山地と道志山地に両脇を挟まれた桂川沿岸が存在しており、その大部分は富士山からの噴出物で覆われています。その代表的なものを古い時期から説明します。
0492_溶岩流の流れ

西桂地区を中心とした溶岩流の流れ

 1.古富士泥流
 今から、約17,600年前に流れたと推定されています。火砕流として発生したものが桂川方向に下ったおりに、泥流となって激しく走ったものとされ、西桂町はもとより都留・大月をも飲み込み、遠く神奈川県厚木市にまで達しています。到達した距離からも非常に大規模な泥流であったことがうかがえます。

2.猿橋溶岩流
 約8,500年前に富士山頂近くから流れ出た大規模な溶岩流です。古富士泥流が富士吉田と西桂地域の丘陵に衝突した影響などから桂川の右岸に沿って下っています。その名のとおり大月市の猿橋まで流れています。この折に桂川の支流のいくつかに堰き止め湖ができ植物が生え動物の宝庫となり、人口密度の上昇につながる要因のひとつとなりました。
3.桂溶岩流
 猿橋溶岩流と時間をあまり置かないで約8,500年~7,700年前に流れた溶岩流です。
 流路は猿橋溶岩流を迂回するように桂川の北側を通ったため、都留市十日市場地区まで溶岩で埋め尽くされてしまいました。桂川水系の渓谷は埋まってしまい、堰き止め湖が出現したが、ことのほか富士山系から湧いてくる水量が多かったことから、この水が湖からオーバーフローし溶岩流を削り込みながら、蒼竜峡や田原の滝などの絶景を作り出しています。
0492_都留市田原の滝

都留市田原の滝

4.その他の溶岩流
 桂溶岩流の流下の後、西桂周辺を脅かす溶岩流は確認されていません。しかしながら、約1,700年前に富士吉田市との境界にある「暮地の坂(くれちのさか)」で止まった桧丸尾第一溶岩流と西暦937年に富士吉田市内に末端崖を作りさらに止まり切らずに二次的流出をした剣丸尾第一溶岩流があり、西桂地区に迫ったことが分かります。ここの地形を観察すると漏斗状をしており幅が約620mと細く溶岩が停滞していることから坂状の地形が作り出されています。 現在は、この場所に一般国道139号ができ道路が整備された今でも県内の交通の難所のひとつとなっています。
0492_暮地の坂

暮地(くれち)の坂

 このように、数万年単位で続く富士山の造山活動は、郡内地域に大きな影響を与えた後に今のところ停止しているように思えます。しかしながら、長い目で見ると、今は休眠して地下深くその力を溜めているのかも知れません。

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