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ページID:4390更新日:2017年6月22日

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遺跡トピックスNo.0091甲府城下町遺跡(甲府地方裁判所地点)「春岱」鉢

甲府城下町の遺跡

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「春岱」(しゅんたい)鉢

遺跡は、地点名の通り「甲府地方裁判所」(甲府市中央1丁目1-10-7)の場所にあります。

発掘調査は「甲府地方裁判所」の建て替え工事に伴なって行われました。

甲府城下町(地裁)全景

写真:調査地より西をのぞむ。画面中央をはしるのが平和通り。画面右が甲府駅方面。

遺跡は、名前の通り「甲府城下町」の範囲にあたり、柳沢吉保吉里が甲府城主だった頃(今から300年くらい前)には調査地周辺は「滝口平太左衛門」という800石取りの武士の屋敷地でした。また絵図によれば、幕末の頃(今から160年くらい前)には「御薬園」とよばれる、薬草などを栽培する場所でした。

しかし調査の結果、江戸時代の武家屋敷地の跡は見つからず、当時使われていた茶碗のかけらなどもほんの少し見つかっただけでした。それに代わって現れたのは、古墳時代~平安時代の土器を含む当時の人々の暮らしの痕跡でした。

今回はここから出土した江戸時代後期(今から150年くらい前)の志野焼(しのやき)の陶器について紹介します。

土の中から現れた焼き物、ひとつ・・・

見つかった陶器は直径20cmほどの鉢です。全体に白い釉薬(ゆうやく)がぽってりとかけられており、一般的には「志野焼(しのやき)」と呼ばれるものです。内側と外側には文様が描かれ、雅な趣きの感じられるものですが、これはただ単に捨てられた状態で見つかりました。

「春岱」鉢

写真:見つかった陶器。格子状の文様が見られます。

「春岱」鉢ウラ

写真:裏返したところ。外側にも文様があります。底に釉薬のかかっていない部分がありますが、ここに「春岱(しゅんたい)」の銘が。

発掘現場でこれが見つかった時には「なんだか普通の陶器の鉢とは雰囲気がちがうな~」と思いましたが、ひっくりかえして裏をみると「春岱(しゅんたい)」という銘がつけられていました。

発掘調査がおわり、整理作業をする中で「春岱(しゅんたい)」銘を手がかりに調べてみると・・・

名工の作品だった!

「春岱(しゅんたい)」とは「加藤春岱(かとうしゅんたい)」という人の銘であることがわかりました。

この人は江戸時代後期(今から150年くらい前)の瀬戸(赤津)を代表する陶工(とうこう=陶器を制作する人)の一人で、尾張藩直営の窯元としても活躍しました。

「春岱」銘

写真:裏の底の部分にある「春岱(しゅんたい)」の銘。

このような名工による一品ものが発掘調査で見つかることは少ないですが、「春岱(しゅんたい)」銘のある陶器のかけらは愛知県瀬戸市の「凧山屋敷(たこやまやしき)遺跡」でも見つかっています。

普通は大事なうつわであればたとえ割れてしまったものでも焼き継ぎ(「ふのり」や「鉛を主成分とする白玉粉」などの接着剤を使ってうつわをくっつけて焼き直すこと)をして元通りにしたりするものですが、このような一品ものがどうしてこの場所にうち捨てられていたのかは謎です。

 

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