ページID:71352更新日:2016年3月9日

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KGC0063

県指定 有形文化財(工芸品)

銅鐘(光国寺)

  • 銅鐘(どうしょう)

平成28年2月22日指定

所在地 笛吹市御坂町下野原1251

所有者又は管理者 光国寺

 

光国寺は、浄土宗寺院で、阿弥陀寺(京都市左京区大原)を創建した彈誓(たんぜい)上人が慶長3年(1598)に開山した。本鐘は、光国寺境内の鐘楼門二階に懸吊(けんちょう)されている。

甲斐に於ける鋳物師(いもじ:鋳物をつくる職人)の歴史は古く、鎌倉から室町時代において、甲斐国志太郷(現甲斐市志田)、宇津屋(現甲斐市宇津谷)付近に鋳物師が定住し、16世紀には天狗沢(現甲斐市天狗沢)に鋳物師が居住していたことが知られているが、武田家滅亡の頃にはその存在が消える。その後、江戸時代初期に現れたのが、本鐘を製作した鋳物師沼上氏であり、その居住地は、甲府城下に移る。

本鐘には、鋳物師名として沼上主水正盛家等の3名が記されているが、この沼上氏は、伊豆国三島(現静岡県三島市)の鋳物師の系統とされ、文禄・慶長期における甲府城築城等の事業に際して招聘された鋳物師とされており、その時に三島から甲斐に来た鋳物師が沼上主水正盛家であり、甲斐沼上氏の初代となった。

沼上氏は、以後、雨宮氏とともに、近世において全国の鋳物師を支配した真継家から鋳物師職許状(しききょじょう:鋳物師の代替わりの際に発給されたもので、鋳物業の営業許可証)を受け、近世甲斐を代表する鋳物師として幕末まで存続した。

本鐘は、元和5年(1619)の江戸時代初期の作であり、近世甲斐鋳物師の先達である沼上氏の現存最初例の銅鐘であり、その事績を物語る貴重な銅鐘であり、その他の銘文についても、寺名、寺の縁起、発願者や寄進に関係した僧俗名など、その情報量が豊富であり、歴史資料としても重要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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