ページID:82016更新日:2018年3月23日

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CC0063

県指定 有形文化財 (彫刻)

木造聖観音像及び諸尊像

木造聖観音及び諸尊像

  • 木造聖観音及び諸尊像 五軀(もくぞうしょうかんのんおよびしょそんぞう 5く)

平成29年9月7日指定

所在地 中央市大鳥居1621

所有者又は管理者 大福寺

 

 飯室山大福寺は、武田家の祖・武田信義の弟・浅利与一義成が帰依した真言宗寺院で、創建は奈良時代の天平年間(729~749年)とされる。当寺を含む浅利川沿いの地域は、浅利与一義成の拠った地として知られる。五軀の諸尊像は同寺院の観音堂に安置されており、いずれも平安期の制作である。

 聖観音立像(一)は、3m50cmを超える巨像であるが、現在脚部を切り詰められている。像容と大きさの近い菩薩立像と比較すると、造立当初は5mを超える像高であったと推定される。現存する平安時代の立像中でも5m以上の像はごく少なく、特に地方においては、当時においてもまれな巨像であったとみられる。現在は、両腕も後代に補われた腕と変わり本来の姿は損なわれるものの、巨大な体軀と迫力のある相貌は、なお往時の威容を伝えている。制作は体軀や衣の表現から十世紀頃と考えられる。

 毘沙門天立像は、細身の引き締まった体軀で穏やかな動きを表し、花形を二重に重ねた冠や肩布の大振りな結び目など、細部の意匠が装飾的な像である。

 不動明王立像(一)は、直立した動きの少ない姿で、衣の表現などもやや固い。相貌の優しい童顔風の表現は、当寺薬師堂の丈六薬師如来坐像(県指定文化財)に通じる。

 聖観音立像(二)は、ふっくらとした顔立ちや浅く繊細な衣文を刻む衣の表現に、平安末期の造像の特徴をよく表している。両手は、左手で蓮華を持ち、右手をこれに添える形で、比叡山延暦寺の横川中堂本尊聖観音立像と同じ形であり、12世紀末頃盛行した同像の摸刻と考えられる。本像は、それらの中でも横川中堂像(像高170.6cmと像高がほぼ等しく、同像の特徴である動勢表現もよく受けついでいる。

 不動明王立像(二)は、耳の形や衣文の表現など聖観音立像(二)と近く、聖観音立像(二)の脇侍として造立されたと考えられる。もう一方の脇侍である毘沙門天立像は現存しないが、当寺破損仏中に残る武将形像の脚部は、不動明王立像(二)の脚部とよく似ており、足枘の高さと厚みも全く同じであるので、不動明王立像(二)と対になる毘沙天立像が存在していた可能性は高い。横川中堂像の摸刻中、脇侍まで伴う例は少なく、本像は、同像の摸刻の中でも忠実な摸刻であったといえる。

 このように、本群の各像は、各時期の様式の特徴をよく表して作行き優れ、また、聖観音立像(一)と薬師如来坐像の二軀の丈六仏を中心に、長期にわたって行われた当寺の造仏は、平安時代中期から末期にかけての甲斐の仏教信仰の隆盛を示す重要な作例である。

〈見どころ〉

 ・普段は見ることのできない秘仏である。

 ・3.5メートルを超える巨像であるので実際に見ると思った以上に大きく迫力がある。

 ・脚部を切りつめた理由は不明であるが、様々な想像が駆り立てられる。

 

 

 

 

 

 

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