ページID:82018更新日:2017年12月14日

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KSC0043

県指定 有形文化財(考古資料)

かんかん塚古墳出土馬具

  • かんかん塚(茶塚)古墳出土 馬具 六点 (かんかんづか(ちゃづか)こふんしゅつど ばぐ 6てん)

平成29年9月7日 指定

員数 6点

所在地 山梨県立考古博物館(甲府市下曽根町923)

所有者又は管理者 山梨県立考古博物館

 

 かんかん塚(茶塚)古墳は、甲府市下曽根町字岩清水に位置し、曽根丘陵・東山の北西側裾緩斜面に立地する。周辺には県内最大規模の前方後円墳・甲斐銚子塚古墳や、大丸山古墳・天神山古墳などがあり、西側には五世紀初頭の丸山塚古墳がある。かんかん塚(茶塚)古墳の墳丘は20~25mの円墳で、ほぼ中央に川原石積みの竪穴式石室が構築されている。

 この発掘調査原因は、甲斐風土記の丘・曽根丘陵公園整備に伴うもので、山梨県教育委員会が昭和52年(1977)~昭和60年(1985)の三次にわたり発掘調査した。

 本出土品は、昭和52年の発掘調査により、竪穴式石室から出土した遺物である。木芯鉄板張輪鐙は一対二点が出土している。輪鐙は柄と踏込部の輪を鉄板で被覆したもので、踏込部の縦横比が近く、柄の先端が丸い。また、踏込部の滑り止め鋲の存在から、五世紀中葉に比定される。三環鈴は、環に鈴が三分の一ほど食い込んで接合されている。本例のように大型に属する三環鈴でも比較的小ぶりなものは、五世紀中頃以降の古墳から出土する例が多い。轡は馬の口に入れて馬を制御する道具であるが、本品は鏡板部分のない構造の轡である。日本に馬具がもたらされたのは四世紀後半頃まで遡ると想定されるが、五世紀代に普及する轡で鏡板を伴わない構造の轡は、中でも早い時期から使用されていたと考えられる。以上の特徴から、これらは県内の出土馬具のうち最古に属する事が明らかである。

 県内での出土が確認されている輪鐙は本出土品のみで、他の鐙は六世紀~七世紀の鉄製壺鐙が多く、笛吹市八代町古柳塚古墳、甲府市右左口町、笛吹市春日居町梅沢無名墳などから出土している。三環鈴は本古墳の遺物が本県唯一の例である。また県内で本例に続く轡の出土としては、中央市王塚のf字形鏡板付轡が知られ、五世紀後半に属する。

 かんかん塚(茶塚)古墳からは、この他に武具として短甲(横矧板鋲留短甲)・小札・冑破片・鉄鉾・鉄鏃・人骨などが出土している。これらの遺物は馬具の年代に対応した遺物であるが、保存及び展示用の処理が行われておらず、今後の早急な保存処理が求められる。

 また、人骨については近年調査が行われ、若年(10代後半~20代前半)で、性別は男性の可能性が強い。なお、大腿骨の後部に筋状に骨が張り出した、柱状性と呼ばれる特徴があることが判明した。これは幼少期からの騎馬習慣による特徴と想定されている事から、被葬者と馬具の関係は密であると推定される。

 以上の事から、本古墳出土馬具は、本県における最古の馬具というだけでなく、本県及び、列島における馬及び馬具の普及を示す貴重な考古資料である。

〈見どころ〉

・山梨県内で発見されている馬具としては最古級です。輪っか状の足かけ(輪鐙)や三環鈴と呼ばれる鈴の装飾は、県内唯一の発見例です。

・日本列島における、馬や馬具の普及を知る上での貴重な資料です。

 

 

 

 

 

 

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