更新日:2016年3月15日

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山梨の文化財ガイド(データベース)登録記念物(名勝地関係)

 

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TK0001

国登録 登録記念物(名勝地関係)

七里岩(七里岩と八ヶ岳)

七里岩と八ヶ岳

七里岩(屏風岩)

七里岩(屏風岩)

七里岩(屏風岩)と富士山

七里岩(屏風岩)と富士山

  • 七里岩(しちりいわ) 

平成27年10月7日登録

所在地 韮崎市上祖母石1043番1、1043番2

所有者又は管理者 所有者:個人、管理者:韮崎市

 

 山梨・長野県境に位置する八ヶ岳(最高標高2,899m)の南麓には、約20万年前の山体崩壊による韮崎岩屑流(がんせつりゅう) が南北約25km、東西約18kmにわたって大規模な台地を形成している。台地の西南端は、西を流れる釜無川の侵食により比高40~150mもの断崖地形が連続し、総長が約30kmにも及ぶことから「七里岩」の呼称が定着した。

灰色輝石安山岩(あんかいしょくきせきあんざんがん) 礫岩(ぎょうかいかくれきがん)などから成る断崖絶壁は要害の地を成していたため、甲斐国の大名であった武田勝頼(1546~82)は七里岩に臨む台地の突端部に新府城を築城した。また、岩壁の独特の風致景観は和歌・俳句の対象ともなり、江戸時代後期の一条郷(いちじょうのぶさと)による『不二山百首歌(えいふじさんひゃくしゅうた)』には「七里のいはね」と「富士の根」とが重なり合う美景を詠った和歌を収めるほか、明治前期の俳句にも「七里につらなりたてる岩垣」と詠んだものがある。

七里岩の随所には独特の形態をもつ岩体・洞窟が存在し、江戸時代の『甲斐国史』・「甲州街道分間延絵図(こうしゅうかいどうぶんけんのべえず)」には個々の名称・位置が示されている。それらの中には、信仰の対象として小祠を設けたものがあるほか、文化6年(1809)に甲斐国に滞在した江戸幕府侍医の渋江伯(ちょうはく)が紀行文『官遊紀勝』において紹介したものなどがある。

今回登録する範囲は、七里岩の中でも国指定史跡新府城跡の北西部に近接の屏風岩(びょうぶいわ)と呼ばれる部分である。連続する断崖から西南の方向に約40m突き出た独立岩体で、釜無川の氾濫原との比高は50mから60mである。面積は4,731㎡。古く「甲州街道分間延絵図」にも登場し、岩体の頂部には弘化2年(1845)の記念銘を持つ安産祈願の石祠を祀る。

七里岩は、韮崎の歴史・伝統にゆかりの深い景勝地として長く親しまれてきた意義深い事例である。

 

 

 

 

 

 

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