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知事記者会見(平成19年2月16日)

詳細内容

平成19年2月16日知事記者会見(JPG:43KB)知事定例記者会見
平成19年2月16日(金曜日)11時30分から
本館2階特別会議室

<発表事項>
○「4年間を振り返って」

(知事)今日こうして退任の日を迎えまして、記者の皆さんには、大変お世話になりました。
最後の定例記者会見でありますので、4年間を、私なりに振り返ってみたいと思います。
この4年間は、これまで経験したことのない人口減少、超高齢社会に直面し、一方で、市町村合併の進展や国、地方を通じた財政改革など、地方自治体を取り巻く環境が、大きく変動する時期でありました。
また、本県経済を支える中小企業の経営不振や雇用不安、子育てへの不安など、県民の日常生活においても、不安感や閉塞感が漂っていました。
こうした中にあって、私は、就任以来、「誇れる郷土活力ある山梨」を目指すべき県土像として掲げ、まずは、喫緊の課題である県民の皆様の不安を解消するための景気の回復や、安全・安心の確保など、緊急な施策に全力で取り組んで参りました。
平成16年2月には、長期総合計画「創・甲斐プラン21」を策定し、県民の底力である「美力・民力・創力」を原動力とした21世紀にふさわしい新しい山梨を創り上げることに力を注いで参りました。
また、行財政改革を徹底的に進めるとともに、リニア中央エクスプレスや中部横断自動車道などの「未来の山梨づくりに向けた取り組みへの着手」や、子育て支援、教育環境の充実など、県民の皆様の「今と未来の幸せ」のため、誠心・誠意尽くして参ったところであります。
特に、強く印象に残る事業としましては、県民生活の不安解消への最優先の取り組みとして、就任後直ちに、「中小企業金融相談窓口」や「中小企業再生支援協議会」を設置し、きめ細かな支援を開始するとともに、山梨版景気対策として創設した、「経営支援緊急融資制度」。
深刻化する少子化への対応として、「やまなし子育てプラン」に基づく施策や、乳幼児医療費の窓口無料化に向けた取り組みなど、安心して子どもが育てられる環境づくりを先進的に進めてきたこと。
観光立県「富士の国やまなし」を宣言し、全国で初めての観光部の設置にはじまり、フィルム・コミッションの設置、海外からの観光客の誘客促進、エコツーリズムなどの体験・交流型の観光の推進など、観光振興戦略を積極的に推進したこと。
これからの山梨を支える「人づくり」として、小学校1年生、2年生に、三十人学級編成を取り入れた少人数教育、「かがやき三十プラン」を実施したことや、県立普通科高校「全県一学区制」入試を導入したこと。
山梨発展の基盤整備として、長い間の地域住民の悲願であった中部横断自動車道の新直轄方式による整備促進を決断したことや、山梨リニア実験線について、一般区間の建設により全線の整備に道筋がついたこと。
明野廃棄物最終処分場について、処分場建設工事の着手に至り、また、次期処分場についても、笛吹市内での見通しがたち、自県内での廃棄物を最終処理するシステムの構築に向けて、はっきりとした道筋をつけたこと。
市町村合併について、市町村や住民の皆様と連携しながら、積極的な取り組みを進めて参った結果、住民に一番身近な市町村は28となり、こうした自主的な合併により、厳しい財政環境の中で住民の要望に応えていくための、市町村の行財政基盤の強化が図られてきたこと。
一方、知事就任時の本県の財政状況は、数次にわたる国の経済対策に呼応した公共投資の実施や、地方の財源不足を補填するための県債の発行などにより、財政の硬直化が懸念される状況にありましたが、こうした中にあっても、プログラムの目標に沿って県債発行を計画的に削減し、その目標を達成したこと。
このように、任期中、地方行政を取り巻く環境は非常に厳しいものがありましたが、未来の輝かしい県土づくりを追い求めてき私の4年間は、県民本位、中でも子供達の未来のためにということが頭から離れたことはありません。
そして、あらゆる施策の執行に当たって、人を大切にすること、このことが一番の基本だと考えまして、県民の皆様のご理解とご協力をいただき、課題の一つひとつに着実に取り組むことができたと考えております。
温かいご支援を賜りました県民の皆様や、県政を支えていただいた記者の皆さんをはじめ関係各位に、改めて衷心より感謝申し上げます。
最後になりましたが、記者の皆さんには、山梨の今を、そして未来を、県民の皆様のみならず、国内外に発信するリーダーとして益々ご活躍されるようご期待申し上げますとともに、ご健勝にてお過ごしなされますよう心からご祈念申し上げまして、退任にあたってのあいさつといたします。
記者の皆さん、本当にどうもありがとうございました。

<質疑応答>

(記者)今、一つひとつ主要な施策を振り返られましたが、未来に向けての種として、今後成長を期待したい事業というのは何がありますでしょうか。

(知事)やはり、これからは当然、道州制という方向に動いていくと思います。このときに当たって山梨の存在感というものが示せることが大事だと思います。
それは何かということですが、第一には常に申し上げています「森の国・水の国やまなし」。これは山梨にとって大きな財産であり、他県にとっても魅力だと思います。加えまして、リニアモーターカーもいよいよ実用化の方向で動き出しました。中部横断道も然りであります。
こうしたことを考えたときに10年後、20年後には山梨は日本列島の中でも注目される県になっていくのではないかと思います。そのための基盤整備をはじめとする様々な事業について積極的に県行政として取り組んでいくことが大事ではないかと思っています。

(記者)4年を間振り返っていただいて、これは厳しかったなと思うのは、どんなものがございますか。

(知事)やはり三位一体改革等で示されたように、国の財政対策に呼応して地方がどちらかというと切り捨てられてきているというのが実態だと思います。
日本列島の中でも、今、格差と言う言葉が流行っていますが、東京一人勝ちといわれるような状況がずっと続いてきております。従って今、景気が浮揚してきたといいながらも、列島全体に染み渡っているものではありませんので、その格差が益々広がってくるような感じがしておりますが、このようなものを是正して、財源的に地方が豊かになれるような仕組みというものを国に作ってもらうということが大事ではないかと思います。
この財政難というもので、改革縮小といわれる時代に突き当たってしまって、県民の皆様にも、補助金をカットするとか、あるいは振興局をなくして不便を強いらせることとなった。
そうしたことが県民の不満となり、鬱積していったのではないかという感じがするのですが、このようなことも県民の皆様方にご理解をいただいて、この時代を乗り切っていかないと改革が後戻りしてしまう、そんなことが一番つらかった思い出であります。

(記者)4年間、お疲れ様でした。4年間で最も心に残ったエピソードがあれば教えてください。

(知事)この前もちょっとお話ししましたが、ペルーの山梨県人会の創立100周年に行きました。
その時、向こうに移住した方々とこちらから訪れた人たちとの交流の中で、昔話に花が咲きまして、異国にいてもふるさとを思う気持ちはこんなに強いものかなと感じさせられて、やはり地球はひとつだという思いを持たせていただきました。そういう意味では、山梨を離れてあちらこちらで活躍している人たちも山梨のことについてよく情報も持っていますし、心配している。そうしたことを思うときに、しっかりとした県土づくりというものは必要なのだという思いは強く抱いたわけであります。
そういう意味からすると、この県というもの、行政というものを遠くから見ている人が大勢いるという認識を強く持って、しっかりとした対応を図っていくべきではないかなと感じたこともありました。
事業としては、明野の問題も解決いたしましたし、リニア、中部横断道あるいは基盤整備等々、地域要望というものにしっかりと耳を傾けて対応を図ってこれたということは良かったと思います。

(記者)逆にやり残したこと、これはやりたかったなということは。

(知事)これは米倉山の問題がひとつ残されていました。
既にあそこは合併により甲府市になりましたので、甲府市長とも以前からずっと話し合いを継続してきました。選挙になってしまったので中断してしまったのですが、実は米倉山の活用策として、甲府の動物園ですね。小動物は今のところに残しておいて。というのは、甲府の動物園は非常に創立が古くて、全国で4番目くらいと言われる伝統ある動物園ですから、これを残しながら、小動物以外の大きな動物を移して、動物園と一緒に公園整備を図っていく。そして、その周辺の用地については民間に分譲し、あの地域の活性化に寄与していくというような話をしていたのですが、これが実現できなくて残念です。
一気に米倉山の活用策も生まれてきたのですが、残念ながらこの辺はまた後の人に考えていただくということになろうかと思います。

(記者)新学習拠点への思いを今一度お聞かせください。

(知事)これは望月県政の頃、平成2年頃から北口整備の問題は持ち上がってきました。そして、その当時は、北口センターというものを県として造っていく計画がありました。
その後、平成6年頃ですか、新都市拠点整備法というものができまして、甲府市が拠点地域に指定をされました。加えて、北口の整備は、その時から区画整理事業としてやっていくという方向になったんですね。区画整理事業の中の一環として、県有地は県の役割として何をしていくかという時に、北口センターを中心に考えていくということで、既に換地計画によりそれぞれ移転をさせながら、それだけのスペースを確保して北口のセンターを造っていく方向にどんどん進んできたわけです。
そこで北口センターという形で図書館を移転して、複合施設として生涯学習施設も併設していくという方向で決定をされたわけであります。歴史的にたどってみますと、平成2年ぐらいからそういうものが持ち上がってきた。
これは中心市街地活性化法のエリアの中にも入っているわけでして、その法律に基づいてこれらの事業が進められてきているということでありますので、これは行政の継続性ということからすると、やはりこれは継続していただく事業の重要な部分を占めているものではないかと、私自身は考えております。
できればそういう方向でやっていただきたいと思います。今まで換地計画とか周辺整備をやってきたことが頓挫してしまうようなことがないようにやっていただくことがいいのではないかと思います。

(記者)知事は甲府市長の経験をお持ちですが、知事という仕事はどんな仕事でしたか。

(知事)まぁ、全然重いですね。重みが違うんですね。幅も広いですし、深みもありますし、全体的に見てみると、28市町村を束ねているというような存在ですから、加えて今、地方分権とか三位一体改革ということになりますと、県を代表して実態を国に向かって訴えていかなければならない。
よく市長当時は何かあると、それは県に聞いて、県の判断でということで整理はできたんですけれど、県といいますと、知事となりますと、市町村の分まで全て含めて独自に判断していかなければならない部分が山ほどあるわけです。そういう点では細心の注意を払って決断をしていくということの大切さをしみじみと感じさせられました。

(記者)知事は4年前に就任された時に、相撲取りが土俵に上がる時の気分だというお話をされましたが、今はどんなお気持ちですか。

(知事)そうですね、しっかり取り組みをして、地に足が着いた4年間であったと思います。当初は、私自身も不安もありましたが、職員あるいは県民の皆様にしっかり支えていただいて、しっかり相撲が取れたのかなと思っています。

(記者)明日からはどんなことをしていきたいと思っていますか。

(知事)結構、今、あちらからもこちらからも、ちょっと来いよとか、どこどこへ行こうとか、皆さんがなんとか私に気遣いをしてくださっている。こうした事は私は人生の中の一通過点と捉えておりますので、これからも前を向いて、しっかりと楽しく、歩みを進めていきたいと思っております。
今、具体的にこれとあれをするということはまだ決めておりませんけれど、楽しく過ごしていきたいと、また、役に立つことがあれば社会のためにも役立っていきたいと思います。

(記者)今までプライベートがなかったと思いますが、プライベートでこうしたいということが何かございますか。

(知事)自然を友達として過ごしたいですね。それは、山登りしたり散策したり、あるいは草花、結構興味、趣味がありますもので、そういうものと遊んだりとか。ひとつやってみたいと思うのは、蜜蜂を飼おうかなと、それを今からやろうかなと思っています。自然の中で自然と一緒に遊んでいきたいとそんな気持ちですね。

(記者)今朝、家を出るときにご家族から何か声が掛かりましたか。

(知事)全く普段通りでしたね。家内が「もう車が来てますよ」なんて言うから、「あっそう。行ってきます。」という感じですね。普段と全く同じです。

(記者)何時ぐらいに起きられたのですか。

(知事)今朝は7時ちょっと前くらいかな。

(記者)毎朝同じくらいに起きられるのですか。

(知事)大体6時半ごろから7時くらいの間ですね。

(記者)知事は、観光に一番思い入れがあったのかなと思いますが、今、観光物産連盟の会長をされていて、これについてはこういうふうに進めていきたいというお気持ちがありますか。

(知事)今、観光客も風林火山等ありますから、結構増加してきておりまして、これは大変いいことだと思います。ですから、そういう方々をリピーターとして増やすということが大事だと思います。
受け入れる側の行政の果たす役割があると思います。折角観光部というものを設けているのですから、その観光部には土木の職員もいますし、農務の職員も林務の職員も入っているのですから、そういう人たちで、施設整備等々に力を入れていく、これがひとつには来県される観光客のサービスにも繋がっていくのです。そういうことを官民一体となって取り組んでいって、山梨というところは本当に便利だと、行き良い、楽しいといろいろな面で好評を得られるような受け入れ態勢というものを整えるべきだと思っておりますので、側面から協力できることがあれば、していきたいと思っております。

(記者)先ほどから三位一体の改革など厳しい時代ということで、選挙戦でも何度か今までは守りの時代であったが、ようやく攻めに転じるということを言っておられましたが、県庁を去らなければいけない今の思いをお聞かせください。

(知事)そうですね、行政課題とすれば、攻めに転じて行かなくてはならない時がきたと思っております。確かに右肩下がりの時の現職というのは、批判をされることが多く、先ほど言った縮小とか改革の時代ではやむを得ないことで、守り一辺倒だったということが結局こういう結果になったわけですけれども、これからは力強くどんどん事業展開していく時だと思っていたのですが、そのように出来なくなったということであり、その点は残念に思います。

(記者)甲府市長時代も含めると16年間政治家として過ごしてこられたわけですが、どんな16年間だったのでしょうか。

(知事)私は、政治家という言葉が自分自身にピンとこなくて、何というか結果的には政治家ということになるわけですが、やはり住民本位ということですね。
住民本位の政治であり、行政でなくてはならない、このことは終始一貫貫いてきたと思っております。
ですから甲府市長当時は「人と自然にやさしさあふれるまち甲府」というキャッチフレーズを出させていただきました。県政に来ても、私は人を大切にする、これが政治・行政のやるべき一番大事なことだということを常に職員にも言ってきましたので、その意味では、人とのふれあいとか人を思う心、気持ちは誰にも負けないくらい大切にしながら、行政推進を図ってきたと自負しております。

(記者)先ほどご家族の話が出ましたけれども、政治家として支えてこられた、奥様はじめご家族の皆様に対しては、どのような思いでいらっしゃいますか。

(知事)家内は本当に気が楽になったというか、そういう感じのようです。心の中は悔しさとか無念さとかがあるのかもしれませんが、全くそんなことはない様子です。気楽になった、ということをよく言ってますから。これからは平凡な生活に戻れるのではないかなと思っております。

(記者)政治家という職業はもうこれで最後ですか。

(知事)やれって言えばやりますけれどね。(笑い)。でもきつい仕事だと思いますね。

(記者)新知事に一言メッセージがあれば、お願いしたいのですが。

(知事)これは昨日もお話ししましたが、県にも優秀な職員が大勢いますので、その人達の能力を引き出していただいて、職員と一丸となって県政の推進を図っていただきたいと思います。
私が職員にいつも言っていますのは、国の言いなりになるのではなく、末端の基礎的自治体である市町村に目を向けて、現在28になっている市町村の振興のために、是非先頭に立って活躍していただきたいと思っています。

(知事)夢想国師のいい歌があります。
「盛りをば見る人多し散る花のあとをと訪(と)うこそ情けなりけり」
見る人多し散る桜、ですけれども、是非、後を訪れることこそ人の情けだということですので、どうぞ皆さん方、折に触れて本物の桜を見に、上の方(自宅)に上ってきてください。どうもありがとうございました。

(以上)

リリース日:2007年2月21日

知事政策局広聴広報課

甲府市丸の内1-6-1本館2F
TEL:055(223)1336
FAX:055(223)1525

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