vol.23(平成22年1月1日発行)
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時を今につなぐあの日 時を今につなぐあの日 やまなし歴史探訪  やまなし歴史探訪  大水害の復興に、戦後の経済成長の基盤に、 県民の暮らし安定のため下賜された「恩賜林」。 昭和5年 完成したばかりの県庁の庁舎とその周辺の航空写真。謝恩碑(写真中央)が白く輝いている。昭和5年 完成したばかりの県庁の庁舎とその周辺の航空写真。謝恩碑(写真中央)が白く輝いている。 明治末、二度にわたる大洪水が県下を襲った。とりわけ明治40年8月の台風による豪雨は県下に未曾有の大災害をもたらした。県民の暮らしはもとより、荒廃した県土の復旧工事と経済の立て直しは県政の大きな課題となった。明治44年3月11日、県土復興のためにと、明治天皇から県下の御料地約16万4千haが下賜された。これが、現在の山梨県県有林の大部分を占める恩賜県有財産で、「恩賜林」と呼ばれている。大正9年には県民の感謝を表す「謝恩碑」が舞鶴城公園に建てられた。恩賜林は直接の災害復興のみならず、県内経済の振興と県民生活の安定のために貢献、そして今も県民共有の貴重な財産として守り育てられている。明治44年3月11日、大水害で疲弊した県土復興のために、 明治天皇から県下の御料地約16万4千haが県有財産として下賜された。 22

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