甲斐の和紙に関する記述の初見は「正倉院文庫」に見られます。奈良時代末の宝亀四年(773年)の記録に全国の紙の産地として甲斐の名が記されています。また、平安時代の延長5年(927年)に完成した延喜式においても、甲斐の名前が記されています。

市川三郷町市川大門の南の平塩の丘は、その昔、「天台宗百坊」といわれる程、多くの寺院があったが、その中の平塩寺の旧記によると、延応二年(1240年)には多くの漉家があったと記されており、これらの漉屋から漉出される紙は、写経などに用いられていました。
また、市川の和紙は、中世末以来、武田家の御用紙として、その保護のもと発展してきました。 江戸の時代においても幕府の御用紙として保護されてきました。

 
起源は平安時代にさかのぼります。明治時代まで盛んに行われていましたが、機械化が進み、 現在は市川三郷町に手漉和紙の製造工場は一社のみです。原料は「楮」「三椏」を使用し、美術紙、 画仙紙等を製造しています。