井原西鶴 『好色一代男』 天和2年(1682)
口添えて酒軽籠 より
いまからおよそ300年前の江戸時代中期は、いわゆる元禄風の奢侈な文化が上方から江戸に流れ、それにつれて郡内の絹織物の需要も増え、郡内織物産地が全国に名を知られるようになってきた時代です。 郡内で織られた生地は、上等の絹織物としてもてはやされ、幾つかの文学作品にも登場しています。 甲斐絹のルーツのひとつである郡内縞は、浮世草子の創始者で知られる井原西鶴(1642-1693)の「好色一代男」(1682)に登場し、また「好色五人女」(1686)では主人公のひとり「八百屋お七」が処刑の日に着ていたとされるなど、当時の風俗のなかに郡内の織物が浸透している様子が伺えます。
また井原西鶴の好色ものからおよそ40年後、近代浄瑠璃の大家である近松門左衛門(1653-1724)の作品、「心中天の網島」(1720)、「心中宵庚申」(1722)にも、郡内縞が登場しています。
さらにその90年後、「東海道膝栗毛」で有名な十辺舎一九が文化10年(1813)に著した『諸国道中金の草鞋(12巻編)』の中には、四谷、新宿から身延に回る途中、郡内を詠んだといわれるつぎのような狂歌があります。
江戸時代の中頃には、こんな里唄が唄われました。 と、郡内の地域毎の織物の特徴が描かれています。
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