更新日:2017年2月15日

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国指定 重要文化財(建造物)

武田八幡宮本殿

  • 武田八幡神社本殿 附棟札5枚 旧巻斗1個(たけだはちまんじんじゃほんでん つけたりむなふだ5まい きゅうまきと1こ)

昭和4年4月6日指定

所在地 韮崎市神山町北宮地1185

所有者又は管理者 武田八幡神社

 

 武田八幡神社の創立について、社記は、弘仁13年(822)に旧来から武田武大神と呼んで崇めた武田王の祠廟へ宇佐八幡宮を勧請し、地名武田を冠して武田八幡宮と称したと伝えている。その後、貞観年間(859-76)に石清水八幡宮が社中に勧請され、神田の寄進が行われたという。甲斐源氏一族の尊崇をうけてきたが、武田の地に居館を構え、始めて武田氏を称した源信義は、社殿を造営して当社を氏神と仰いだ。以来、中世を通じて、代々の武田氏から厚く崇敬を受けるところとなり、特に武田晴信(信玄)の寄進によって本殿の再建が完成した。現在の本殿はこのときのものである。

 境内は北宮地集落背後の東面の傾斜地形を階段状に削平し、石垣で社殿敷地を構成している。最も高い位置に本殿と末社若宮八幡神社本殿(県指定文化財)が並び、順次下方に建つ拝殿、舞殿、随神門を配し、この間は石段で結ばれる。また、参道正面には石造明神鳥居(県指定文化財)が建っている。

 本殿は武田信玄により天文10年(1541)に再興されたもので、普請奉行は板垣駿河守信方であったことが棟札で知られる。建物は大型の三間社流造で、向拝3間の前面に浜床を設ける。身舎は桁行3間(6.51メートル)、梁間2間(3.49メートル)、柱は円柱で、組物は通肘木つき出組とし、軒支輪を備える。中備は間斗のみが配され、いずれも束の部分を省略している。このような扱い方は理解しがたい手法で、長野県の国分寺三重塔、前山寺三重塔および新海三社神社三重塔(3棟とも重要文化財)にこの例がある。頭貫先端は繰形彫刻の木鼻をつける。妻は虹梁大瓶束で、破風にかぶら懸魚を飾る。軒は二軒繁垂木で、屋根は桧皮葺である。身舎正面は3間とも幣軸構えに両開き板唐戸を建て、金箔押しに八双金具などで要所を装飾し、扉両脇の方立面には松や竹、その他植物の透彫彫刻が嵌込まれる。他はすべて板壁となる。建物四周に刎高欄つき榑縁をめぐらし、両側後方に脇障子を立てる。扉前面には昇高欄つき階段七級を設ける。

 向拝は柱を面取り角柱とし、木鼻つき虹梁状の頭貫を入れる。柱上の組物は通肘木つき三斗組で、両端のみ連三斗となり、いずれも彫刻を施した手狭が組み込まれる。各柱間の中備に透彫彫刻を入れた蟇股を置いて飾る。向拝部は正側3面を囲って前室のような形状になるが、正面3間は格子戸引違となる。

 この本殿は全体に木割が太く雄大で、均整のとれた堂々とした姿をみせる。蟇股や方立面に入れた透彫彫刻による細部の見事な装飾意匠も見るべき点であり、また間斗のみを配した身舎中備は類例の少ない手法で注目される。

 このように室町時代の特色をよくあらわしているとともに、武田氏興隆期における建築を代表する遺構として重要である。

 昭和9年(1934)に解体修理が施された。

 

 

 

 

 

 

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