てくてくvol.17
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昇仙峡の名声が高まることへの期待も込められていたといえます。願いは現実のものとなり、10月に皇太子は昇仙峡に赴かれ、仙娥滝を見ることができる昇仙橋の上で知事から説明を受けました。その後、皇太子は当時から名勝地として有名であった九州の耶馬渓を引き合いに出し「予は九州大演習の際、耶馬渓を見たが、御岳の勝地には遠く及ばない。耶馬渓以上である。記者にこのように伝えよ」と侍従武官長に話しました。その喜ばしい出来事を報道した新聞には御岳昇仙峡の名称が大きく記されました。皇太子の行啓は、全国に御岳昇仙峡の素晴らしさを伝えるために極めて大きな効果を発揮し、行啓からわずか2カ月余りの12月16日には国の名勝への指定が決まり、翌年3月7日の官報で告示されています。東京や横浜方面から鉄道で訪れる観光客も大幅に増えていき、昇仙峡は観光地としての揺るぎない地位を築いていったのです。人々が生きた歴史が刻まれた魅力ある地昇仙橋新道開削工事でできた石門仙娥滝 昇仙峡にはまだ広く知られていないことがあります。例えばロープウェイで登った先にある山の中には、胎内くぐりをしたと思われる穴など、修験者が修行の場としていた痕跡が今でも残っています。また山中にはたくさんの古道があり、昔の人々がさまざまな形で交流を持ち、ルートを開拓していたことがうかがえます。その古道には独特な石造物も点在しています。残念ながら整備がされておらず、現時点では観光客が訪れることはできませんが、今年6月に登録された甲武信ユネスコエコパークのエリアになり、日本遺産への認定も目指している今、昇仙峡の知られざる文化遺産の再発見に期待が集まっています。 水晶が採掘されていた黒平はかつて有名な温泉地でもあり、商家の旦那衆が湯治場として通い、また、金峰山山頂にある金櫻神社の奥宮への参詣客が立ち寄るなど、にぎわいを見せていました。美しい自然は大切に守られ、清らかでおいしい水の産地としても知られています。 金峰山の麓と昇仙峡一帯は、修験者の歴史にとどまらず、炭やまきの生産、水晶、温泉の歴史などが、豊かな自然の中で刻まれた地域なのです。今もなお、いにしえの文化が息づく昇仙峡。そこには景勝地としてだけではない、奥深い魅力があります。や ばけいせん が たきこ ぶ し07

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