てくてくvol.15
5/20

いう習慣もあり、現在も引き継がれています。山梨でも元日の日の出と共に神社で花火を打ち上げる風習が残っているところもあります。 市川における花火作りの歴史も江戸時代から始まっています。江戸時代には甲州の市川、常州の水戸、三州の岡崎の花火は『日本三花火』といわれるほど有名だったそうですが、商いとして成り立つようになったのは明治時代のことです。市川で花火産業が繁栄したのは、和紙の産地であったことが大きな理由です。花火には紙や竹ひごなど自然素材が使われています。手持ち花火に紙が巻かれているのはよく目にすると思いますが、打ち上げ花火にも多くの紙を使います。市川では製紙と花火という二つの地場産業が共に発展していったわけです。夜空に打ち上げる花火が普及する前には、昼花火と呼ばれるものが作られていました。これは竹筒に紙製の傘やちょうちんを入れて打ち上げ、それらが舞い落ちるのを楽しむものです。いわゆるからくり花火で、庶民の間で親しまれていたようです」 「江戸時代の花火は和火と呼ばれる橙色一色でした。当時の火薬は硝石・硫黄・木炭で作られていたので、色は単色で、材料の配合によりグラデーションを付ける程度のものだったのです。それが明治時代になるとストロンチウムなどの金属粉が手に入るようになり、これらを原材料にすることで洋火と呼ばれる金属特有の紅、緑などの色の表現が可能となり、色彩のバリエーションは徐々に和火から洋火へ。花火産業は大きな発展の時を迎えたわ びよう び毎年8月7日に開催される神明の花火大会いずれも市川三郷町花火資料館展示品※「市川」は市川三郷町市川大門地区(旧市川大門町)のこと。※05

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る