てくてくvol.15
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玩具花火は江戸の庶民に広がっていた市川と玩具花火誰もが身近に楽しめる玩具花火 「玩具花火の発祥ははっきりしませんが、江戸時代には庶民の間に広がっていたようです。江戸前期の俳諧集『洛陽集』に、細い藁の先に火薬を付け、香炉に立てて遊ぶ女性の姿が詠まれています。香炉や火鉢に立てた格好が線香に似ていたため、線香花火と呼ばれるようになりました。その後、和紙をこよって火薬を包んだ形となり、江戸で流行したそうです。また、弥兵衛(初代鍵屋)が葦の筒状の部分に火薬を詰めた玩具花火を売り出した記録もあります。 明治になるとさまざまな彩色光剤が輸入され、玩具花火にも取り入れられました。日本の伝統的な橙色の和火に加え、色彩豊かな洋火が生まれました。昭和にはさらに開発が進み、種類豊富な玩具花火が楽しめるようになりました」 「市川の玩具花火産業は昭和20年代から30年代にかけて発展しました。当時は、市川大門村の世帯全体の1割に当たる約300世帯が玩具花火産業に従事していたようです。全国を行商で回ったり、主にアメリカへ輸出したりしていた時代もありました。しか有限会社 タチカワ 代表取締役立川 靖さ んあしわら10

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