山梨てくてくvol.13
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18501853-561853FEATUREようになり、サロンで入選を果たすのです。ミレーが農民画を描くようになったのは、社会にとって必要な表現であると感じたからだと思われます。 1849年パリでコレラが流行し始めたため、ミレーは家族と共にバルビゾン村に移住しました。バルビゾン村は、パリ近郊にあるフォンテーヌブローの森の外れにあり、風景画家ルソーらの制作の拠点でした。ミレーは、ここで山梨県立美術館で所蔵する《種をまく人》を描きました。この作品は、移住後初のサロン出品作であること、また、農民画に専念していくミレーの最初期の作品であり、ミレーの代表作といえるものです。一農民がこのような威厳にあふれた姿で描かれたことは、当時の慣習から逸脱する表現として非難されることもありましたが、新しい社会の主役である民衆を象徴する作品として、高く評価する文筆家や批評家もいました。 また、当館には1853年に制作された《落ち穂拾い、夏》も収蔵されています。「落ち穂拾い」は、収穫を終えた大地に穂を残し、貧しい人々に施しとして与える風習で、聖書にも記述されています。この光景をバルビゾン村で初めて目にしたミレーは、感銘を受けてこの主題に取り組みました。本作品は、春夏秋冬の移り変わりを四つの農事として描いた連作の一つでもあります。「落ち穂拾い、夏」 油彩・麻布/38.3×29.3cmミレーは生涯に3度、四季連作を制作しており、本作は最初の連作の「夏」にあたる。落ち穂を拾う貧しい農民の姿を主題にしている。豊かな収穫の季節を表した作品。「鶏に餌をやる女」 油彩・板/73.0×53.5cm戸口で鶏に餌をやる女性とそこに集まる鶏。鶏もそれぞれの個性が描かれている。柵の向こうでは男性が働く姿もあり、農家の夫婦の日常生活が描かれた作品。「種をまく人」 油彩・麻布/99.7×80.0cm威厳に満ちた農民の姿を描いた本作はサロン出品の際にも賛否を巻き起こした。ほぼ同じ構図の作品がボストン美術館に所蔵されているが、同じ主題を繰り返し描くというのも、ミレーという画家を考える時に重要な要素である。06

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