山梨てくてくvol.11
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 「硯で墨をすって筆で書く文化が全盛だった父の時代を知る私は、今のような時代が来るとは夢にも思っていませんでした。時代の流れの中で、中国から硯や墨などがたくさん入ってきたこともあり、私たちの伝統的な硯産業は下火になっていきました。書道人口はまだ多いとはいえ、墨汁が使われることで硯で墨をする人は減ってきましたし、学校の習字の授業でも墨をする時間がないのが現実です。父が亡くなり本 「家業に入ったのは昭和44(1969)年、高校を卒業した時でした。私は、父が硯を作る姿をずっと見て育ちました。伝統ある雨畑硯の製造販売業を営む家に生まれたからには、この仕事を継ぐのは当たり前だと思っていました。しかし、すぐに硯の作り方を教えてもらえるわけではありません。最初は、硯を磨く作業など下働きをしながら、父が彫る様子を見て覚えるだけでした。職人の技は見て盗む、ということです。のみは簡単には持たせてもらえず、ましてや貴重な原石は譲ってもらえるわけがありませんから、製品にできない不要な石を削ることから始めたんです。そのころは、製品の箱詰めや発送の作業をしたり、問屋に行って注文を取ったりもしました。作るだけじゃなく、お客さんと会話をしたり、営業全般に携わったりしたことで、情報も得られ勉強になりました。そうした経験があったからこそ、自然と自分なりに納得のいくものができるようになったのだと思います。それでも父がいてくれるうちはまだ甘えていたんですね。父が亡くなって、これは大変なことだと初めて分かったんです。そこから仕事に打ち込む姿勢が大きく変わりました。それが今から25年ほど前、40歳になったころです」甲州銘石雨畑硯製造本家 峯硯堂本舗 代表雨宮 正美さ ん雨畑硯の伝統を守る、職人の信念。硯を使う文化と伝統技術を次世代に。偉大な父の背中を追い硯の世界へ。格的に家業を引き継いでからは、まさに激動の時代でした。しかし、ここで雨畑硯の伝統と文化を絶やすわけにはいかない、そんな信念の下、今日まで頑張ってきているわけです」 「硯を使った人が喜んでくれる、これが一番大切なんです。使ってもらってその価値を分かってほしいので、店に来てくれたお客さんとは本音で話をしますし、実際に硯で墨をすってもらいます。本物を感じ取ってくれる人がいることは職人としての喜びなんです。しかし職人の数は減り続け、後継者の育成も課題です。ものづくりは職人の魂を込めるものですから、好きだから作りたいという強い気持ちを持って職人を目指す人が来てくれたら、喜んで教えたいですね。 伝統を守っていくために、硯を使う文化を育む必要もあると思っているので、子どもから大人までを対象にした硯作りの体験教室も開いています。体験とはいえ石を彫るのは大変な作業だからこそ忘れられない思い出になり、硯への興味につながると思います。先日も、子どもの頃体験教室に来た方が、店に訪ねて来てくれたんです。本当にうれしかったですね。これからも雨畑硯職人としての誇りを胸に、受け継がれてきた伝統文化を次世代につなげていきたいと思っています」峯硯堂本舗富士川町鰍沢5132/TEL.0556-27-020907

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