山梨てくてくvol.11
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FEATURE 「天明4(1784)年、一橋公に硯を献上したことがきっかけとなり、雨畑硯の名は世に広まり、盛んに生産されるようになりました。古文書によると、原石の採掘を装い、金を掘る者が現れたことで一時期幕府から原石を掘ることを禁じられた時代もあったようですが、雨畑の職人たちはそんな時代も乗り越えていきました。歳月を経て、第14代将軍徳川家茂公に硯を献上したことで再び採掘が許されると、雨畑硯の名はさらに広まり、その需要はますます高まっていきました。明治時代には最盛期を迎え、当時はこの地域に硯職人が100人以上いたそうです。一方、非常に人気が出たことで、偽物も出回るようになったため、『雨畑硯製造販売組合』を設立し、品質の保持と偽物の流通防止に努めました。大正時代には雨畑で採掘され、雨畑で作られた硯であることを証明するために、硯の裏面に原石名『雨畑真石』の文字と、職人の名前を堀り入れることとしました。 時代の流れとともに、高齢化や硯の需要の減少などから、雨畑地区の硯職人は減っていき、今では望月玉泉さんのみとなりました。しかし、どんなに時代が変わっても、硯がなくなることはないと私は思っています。墨と筆で文字を書くとい雨畑硯は全国的なブランドに成長。希少性と信頼性を伝えるために原石は「雨畑真石」と名付けられた。あめ はた しん せき大正時代の作業場の様子(写真提供:硯匠庵)雨畑地区で唯一の硯職人・望月玉泉さん。硯匠庵内の工房で製作を続けている(左)掘り出した原石のうち、硯にならなかった部分を有効活用しようと製品化した「雨畑ブラックシリカ」。石の持つ特性を生かし、マッサージ用かっさプレートとして美容分野での需要も高まっている(右)10

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