山梨てくてくvol.10
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山梨の印伝産業は、繊細な技と豊かな感性から生まれたかは定かではなく、インデアの変化した言葉とも、印度伝来に由来するといわれるなど諸説があります。江戸時代にベストセラーとなった十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に「腰にさげたる印伝の巾着を出し見せる」の一節があることから、そのころには印伝という呼び名が知られていたことがうかがえます。 かつて全国的に普及していた鹿革の加工品が、伝統工芸品「印伝」として山梨県の地場産業となったのは、甲府市の老舗「印傳屋」の遠祖・上原勇七が鹿革に漆で模様を付ける独自の技法を創案したことに始まります。最初は撥水効果を目的として塗られるようになった漆。漆のひび割れによる表情から地割れ印伝、松皮印伝とも呼ばれました。しかし、撥水効果にとどまらず、漆で美しい模様を付ける技法を生み出し、江戸小紋などの絵柄を漆で表現した印伝は、たちまち人気を博しました。江戸時代の中期以降は庶民の旅も盛んになり、粋を競う人々の間で巾着、莨入れなどが愛用品として定着していったのです。 山梨は鹿皮と漆が産出される好条件がそろっていたことで、産地として栄えていったのですが、太平洋戦争で印伝の製造は一時中止を余儀なくされました。しかし焦土と化した甲府の地から力強く再興し、今日に至っているのです。印傳屋の記載がある「甲府買物独案内」(江戸時代)[印傳博物館蔵]ひとりあんない信玄袋(右・中)と巾着(左)[印傳博物館蔵]燻革合切袋(右)・三ツ巻財布(中)・提げ莨入れ(左)[印傳博物館蔵]とうかいどうちゅうひざくりげたばこ●●05

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