山梨てくてくvol.09
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六郷に印章産業が根付いているわけ。そこには、優れた技と足袋の行商で築いた力があった。 「山梨には古くから水晶の丸玉や細工物などの加工や彫刻を行う優れた技を持つ職人がいたことや、江戸時代から数多くの著名な篆刻家を輩出していた歴史があります。そして、そのような風土、文化の中で修業を積み、卓越した技を備えた篆刻家たちが代々、六郷において技を引き継いでいったのです。明治に入り、国の水晶産出から始まった六郷の印章産業足袋の行商の販路を活用し印章産業を発展させた人々の熱意庶民も「はんこ」を使う時代にとで、名前が彫られているはんこを正しくは印章といいます。近年は印章よりなじみのある印鑑を、はんこの意味として使う人が増えてきましたね」 「江戸時代、六郷の農家では、副業として足袋を製造し、全国に売り歩いていました。明治に入り足袋産業が衰退し、印章産業が台頭すると、足袋の行商で築いた販路が生かされ、六郷のはんこは一気に全国に広がっていったのです。印鑑登録の制度が定められてから、はんこは日本の社会制度の中で重要な役割を担ってきました。自己を証明する手段として、はんこが持つ重要性は時代が変わった今でも同じです。明治の頃には、村長など地位の高い人がはんこの行商に行ったそうです。そこには、きちんとしたところから、しっかりしたものを買おうという買い手の思いがあり、それだけ売る側にも責任がありました。 大正から昭和にかけて、販路は海外にも広がり、アジア諸国まで水晶印を中心とした外交が行われていました。その後、通信販売の仕組みが確立されると、六郷の印章は地場産業として根付いていったのです」方策として殖産興業に力が注がれるようになると、山梨でも水晶鉱山が開放され、民間にも採掘許可が下りました。また、水晶の研磨などを行う加工施設も設けられました。水晶加工業全体が発展していく時代の中で、水晶印も一層の脚光を浴びるようになりました」 「明治6(1873)年10月1日、太政官布告により印鑑登録の制度が定められました。これにより、一般庶民も姓を持ち自身の姓が彫られた実印を持つことを許されました。このように、はんこを必要とする社会制度ができたことで、普及が進んでいったのです。 余談ですが、印鑑、印章の違いをご存知ですか? 本来、印鑑とは、はんこを押した印影のこ印章は、紀元前4000年、メソポタミアで生まれ、シルクロードによって中国へ渡り、その後、日本へ。100年余りの歴史を持ち、生産高、技術とも日本一を誇る、六郷の印章産業。その歴史を六郷印章業連合組合の組合長、望月孝さんが語ります。09

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