山梨てくてくVOL.06
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富士山最古の神社で武田三代に崇敬され、信玄がお社などを寄進したといわれています。ご祭神が木花開耶姫命であることから女性に関する広い信仰があり、信玄も三国同盟のため北条氏政に嫁がせた娘・黄梅院殿の安産を祈願した願文を納めています。このことからも信玄の信仰の厚さと、実はとても子ども思いだった一面が見てとれます。  富士河口湖町勝山  富士急行線・河口湖駅から周遊レトロバスで約15分  冨士御室浅間神社バス停で下車15211541(21歳)1542(22歳)1547(27歳)1553(33歳)1560(40歳)1572(52歳)1573(53歳)武田信玄誕生信玄、父・信虎を追放釜無川が大氾濫し、『信玄堤』の建設を始める甲州法度次第を制定第一次川中島合戦で、上杉謙信と戦うこの後、1564年まで5回にわたり川中島合戦を繰り広げる『信玄堤』完成三方ケ原合戦で徳川家康を撃破する信州伊那駒場にて武田信玄死去冨士御室浅間神社弘仁13(822)年創建と伝わる古社で、武田家の氏神としてあがめられてきました。現存する社殿は天文10(1541)年信玄が造ったと伝えられているもので、三間社流造(さんげんしゃながれづくり)・桧皮葺(ひわだぶき)で意匠的にも優れています。当時の建築様式を伝える遺構として国の重要文化財に指定されています。石鳥居は室町時代に、二の鳥居は江戸時代に造られたとされる県指定文化財です。武田家滅亡の時に勝頼の正室・北条夫人が願文を納めたことでも知られています。  韮崎市神山町  JR中央本線・韮崎駅からバスで約15分  武田八幡入口バス停で下車武田八幡神社永禄元(1558)年、信玄により創建されました。川中島の戦いの時に、信玄は信州善光寺に戦火がかかることを恐れて、善光寺如来(秘仏)とお寺や門前町の機能を甲斐に持ってきました。甲斐善光寺は最終的に信玄が亡くなる前年に完成しました。江戸時代に焼失するまでは今の1.5倍ほどの広さがあり、信州善光寺とほぼ同じ規模でした。  甲府市善光寺  JR中央本線・甲府駅からタクシーで約12分  JR中央本線・酒折駅から徒歩約15分  JR身延線・善光寺駅から徒歩約7分甲斐善光寺武田信玄略年譜09

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