さぼうのおしごと(砂防読本)
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 歴史的な土砂災害14 山梨県は古くから水すい害がいの多い県です。そのため、戦せん国ごく時代には武たけ田だ信しん玄げんが甲こう府ふ盆ぼん地ちを洪こう水ずいから守るために「信しん玄げん堤づつみ」や「石いし積つみ出だし」、「将しょう棋ぎ頭がしら」などの施し設せつを作っています。これらの施し設せつは、現げん在ざいでも残っていて当時の人ひと々びとが洪こう水ずいから町を守るために苦く労ろうした様子がわかります。明めい治じ時代以い降こうも、たびたび大きな災さい害がいが起きていますが、代だい表ひょう的てきなものとしては昭和34年、41年、57年のものなどがあります。【昭和34年災さい害がい】 昭和34年8月、台風7号が山梨県におそいかかりました。県内ではそれ以い前ぜんから大雨が降ふっていたため、川の水はかなり増ふえていました。そこへ台風が追い打ちをかけたため、県内のたくさんの川で土ど石せき流りゅうが発生し、特とくに右の写真のように大おお武む川かわでの被ひ害がいはとても大きいものでした。【昭和41年災さい害がい】 昭和41年9月の台風26号により、足あし和わ田だ村むら根ねん場ば地区(今の富ふ士じ河かわ口ぐち湖こ町まち)で土ど石せき流りゅうが発生しました。土ど石せき流りゅうは、起きたのが夜だったこともあり、多くの人の命を奪うばうことになりました。この土ど石せき流りゅうで被ひ害がいを受けた2つの地区の人たちは、地区の全員でもっと安全な場所に移うつり住み、生活を立て直すことになりました。この災さい害がいがきっかけとなり、それまで使われていた「鉄てっ砲ぽう水みず」や「山やま津つ波なみ」という言葉から「土ど石せき流りゅう」という言葉が広く使われるようになりました。【昭和57年災さい害がい】 昭和57年8月、台風10号が渥あつ美み半島に上じょう陸りくし、県内の多くの場所で大雨が降ふり、河か川せんのはんらんや、がけ崩くずれが起こりました。大月市の浅あさ川かわ地区や秋山村無む生しょう野の地区(今の上野原市)では土ど石せき流りゅうが発生し、大きな災さい害がいとなりました。武む川かわ村むら(現:北ほく杜と市)足あし和わ田だ村むら根ねん場ば地区(現:富ふ士じ河かわ口ぐち湖こ町まち)大月市七なな保ほ町まち 浅あさ川かわ 歴史的な土砂災害 歴史的な土砂災害

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