国文祭公式記録ウェブブック
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文部科学大臣賞302Yamanashi Kokubunsai山梨県富士河口湖町立勝山中学校 三年   池田桜佳【現代詩】中・高校生の部牛舎で母に連れられて行ったのは牛舎だったそこには一頭の牛「ハッハッハッハッハッ」肩で息継ぎをしているこんな牛を見るのは初めてだ今、まさに子牛が産まれようとしていた立ちのぼる湯気立ちこめるフンのにおい父と母が子牛の足を引っ張るおなかから出かけている子牛その桃色の足を持って父が思い切り引っ張る子牛は出てこない父の息も荒くなる母の汗も湯気になるそれでも子牛は出てこない母牛の息がいっそう荒くなり体は汗でびっしょりだするとピークを越えた瞬間子牛はスルッと出てきた産まれたばかりの子牛まだ目の見えない子牛どこに母牛がいるのかもわからない父が子牛を導いた母牛の近くまで押してやる母牛はすぐなめはじめる顔から体まで丁寧になめるするとにおいが変わった乳のにおいがただよってきたいつも草地でいつもぼーっとたたずんでいるだけの牛そんな牛が今日は母の目をしていた青森県八戸市 和井田勢津【現代詩】一般の部さけのはなしそれは三匹の鮭だったひん曲がり白い鉄柱だけが残る柵の下がれきの沈む川底にひっそり寄り添うのはこの世からいなくなった人が鮭になって帰って来たと不意に胸がつまったのはセンチメンタルな幻想だろうか「さけのはなし 1982年12月」小さなアルバムに貼りつけて残したのは大人になった時見てほしい風景だったから一歳だった君は覚えていないだろう田老川が真っ黒になるほどひしめき合い鮭はがむしゃらにのぼる 捕獲されるために床の上でドスンドスン全身で抵抗する鮭棍棒で一撃しすばやく杭を打ちこむ人間鮭と人は闘い いとおしみ 共に生きる小屋の横で乾いたハラスが寒風に揺れる卵を産み終え力尽きたホッチャレが静止する無残で美しい献身 無欲で尊い意志じいちゃんが包丁を入れるその瞬間を待ち構えていたようにはらこがザザーッとこぼれる「腹子」という名の紅真珠たち鮮やかな三〇〇〇個のいのち娘よ 君もはらこから孵った子だ傷つき擦り切れた尾びれは旅を物語るどんな海を どんなふうに渡り どんな川の匂いに導かれてきたのかばあちゃんが赤子のように抱きかかえると鮭は蛇口からゴクンゴクン末期の水を飲むステンレスの流し台で光り輝く鮭最後は塩をまぶす 目にはたっぷりと背の方から全身をやさしくなでながら帰って来た子をいつくしむ両の手その時 鮭は突如ビクン大きく動いた生きて 最期の一呼吸をした と思ったのはセンチメンタルな幻想だろうか小さな君もきっと見ていたはずだ真っ白に清められ 安堵した鮭の写真でアルバムは終わっている2011年3月11日鮭をさばいた台所も じいちゃんばあちゃんの位牌も人も町も何もかも消えた日から二度目の冬高さを失ったまま 平面に拡大する故郷防潮堤の裏で 偶然出会った三匹の鮭は三十年前の風景を思い出させた山はあの日と同じ形 空はあの日と同じ色川はあの日と同じく澄んで流れている 今も川に鮭がまた帰る また といちずに思うことが 希望になる鮭はいちずに故郷を思って 帰ってきたのだ大人になった君と「さけのはなし」つづきの話を またしよう

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