山梨県のひみつ(デジタルブック版)
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41まめちしき信しん玄げんさんが山やま梨なし県けんの人ひとたちに慕したわれているのは、ただ戦せん国ごく武ぶ将しょうとして戦たたかいが強つよかったからだけじゃないんだよ。えっ、そうなの?そうなんです。たとえば釜かま無なし川がわという氾はん濫らんをくり返かえして領りょう民みんを困こまらせる川かわに堤つつみをつくったり、甲こう州しゅう金きんという貨か幣へい制せい度どをつくったり。そうやって産さん業ぎょうや商しょう業ぎょう、災さい害がい対たい策さくにも力ちからを注そそぎ、領りょう地ちとそこに住すむ領りょう民みんたちを守まもったんですね。ちなみに「風ふう林りん火か山ざん」というのは、信しん玄げん公こうの戦いくさに対たいする心こころ得えと国くにを治おさめていくときの思おもいを表あらわしているといわれているんです。そうか、だから領りょう民みんから愛あいされ、尊そん敬けいされていたんだね。つまり、それって郷きょう土ど愛あいよね。みんなが山やま梨なし県けんの歴れき史しといえば武たけ田だ信しん玄げん公こうというのがわかった気きがする。武たけ田だ神じん社じゃのほかにも韮にら崎さき市しには武たけ田だ家けの氏うじ神がみである「武たけ田だ八はち幡まん宮ぐう」、武たけ田だ家け最さい後ごの城しろの「新しん府ぷ城じょう跡あと」もあるから見みておくといいよ。韮にら崎さき市し民みん俗ぞく資し料りょう館かん所しょ有ゆうの後うしろ田だ遺い跡せきの仮か面めん土ど偶ぐうと坂さか井い考こう古こ館かん所しょ有ゆうの坂さか井い遺い跡せきの立りっ脚きゃく土ど偶ぐうは、縄じょう文もん時じ代だいの信しん仰こうを表ひょう現げんした芸げい術じゅつ品ひんとして、世せ界かいからも注ちゅう目もくを集あつめている。第だい3章しょう 武ぶ将しょうの亡ぼう霊れい現あらわる!? 山やま梨なし県けんの歴れき史しに触ふれる

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