ふるさと山梨-中学校版-(デジタルブック版)
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51第1章 ふるさと山梨を大観して第2章 心のふるさと富士山第3章 ふるさと山梨を見つめて第4章 私たちのまちを見つめて第5章 未来を考える資 料 編●古代の主要な路 ~中央(朝廷)と甲斐を結んだ路~●戦国時代の主要な道 ~戦のための道~●近世の主要な道 ~江戸(幕府)と甲斐を結んだ道~古道は山梨に何をもたらしたのだろう。古道は甲斐とどこを結ぶためにつくられたのだろう。中道往還富士川舟運(水運)棒 道鎌倉街道(御坂路)甲州街道(道中) 甲斐と駿する河がを結ぶ幹線の一つ。古代から存在した最短ルートで,甲府盆地南端には国指定史跡甲斐銚ちょう子し塚づか古墳をはじめとする巨大な古墳が存在することからも,この路が古墳時代に中央と甲斐を結んでいた重要な路であったことがうかがえます。 富士川舟運は,甲斐国と東海道筋を結んだ富士川を利用した水上交通路です。江戸時代の初め頃に徳川家康の命令により,京都の商人である角すみの倉くら了りょう以いが富士川を開削したことに始まると考えられています。 棒道は,武田信玄が信しな濃の国を攻めるための軍用道路として使用されたといわれています。八ヶ岳の麓を直線に近い最短距離でつらぬいているところから「棒道」と名付けられました。 律令国家が成立したことにともない,都(中央)から東海道を経て甲斐に入る官かん道どうとして整備されました。富士山の東側を通り,現在の山中湖村,富士河口湖町,笛吹市には駅うまや(役人が乗り継ぐための馬がおかれたところ)が設けられたと考えられています。また,中世には,鎌倉へ至る重要な街道となりました。 江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋から中山道と合流する下諏訪宿までを結び,45の宿場が設けられていました。街道は参勤交代に用いられたほか,江戸,信濃国への物資の輸送,文化の交流などの面でも大きな役割を果たしました。甲斐銚子塚古墳富士川を上る高瀬舟(山梨県立博物館 蔵)御坂路石畳 (画像提供:山梨県立博物館)歌川広重「冨士三十六景甲斐犬目峠」(山梨県立博物館 蔵)棒道 (画像提供:山梨県立博物館)

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