fureai.vol89
9/24

かに注目を集めているのが、麓から五合目へと続く「古の登山道」と、山麓に広がる巡礼路の再評価・再整備です。います。こうした状況を背景に、いま静富士山の信仰文化をひも解くと、平安時代までは遠くから山を拝む「遙よ拝」が主流でした。噴火を繰り返す山を「荒ぶる神」として畏れた人々は、その怒りを鎮めるために麓の各地に浅間神社を建立し、その遙拝所で祈りを捧げたのです。噴火活動が静まった平安時代後期や鎌倉時代にかけては、密教などと結び付き、修験僧が何カ月もこもって修行する「修験の山」へ。室町時代後半には修験者とともに庶民も登拝するようになり、江戸時代には「富士講」という庶民の信仰集団によって爆発的に流行しました。この登拝を、裏方として支えたのが「御お師し」と呼ばれる人々です。御師は登山者に宿泊や食事を提供するだけでなく、祈き祷とし、教義を説き、神仏と人の間に立つ宗教者でもありました。御師の家に引かれた清らかな水路で、登山者たちは旅の汚れと俗世の穢けれを落とし、身を清めてから山に登ったと伝えられています。うがう   9御師の人々が支えた信仰の実践としての登山富士山信仰の歴史は長くて深いのですふれあい調査が進められている「古の登山道」の全図(画像は県富士山観光振興グループ作成)河口浅間神社孫見祭で奉納される神楽「稚児の舞」vol.892026 SUMMER毎年4月29日に吉田胎内で開かれる「胎内祭」杉の巨木が立ち並ぶ北口本宮冨士浅間神社の参道

元のページ  ../index.html#9

このブックを見る