ふれあい86
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る人たちがいた。だから自分もそういう人を見かけたときは放っておけない。男性がふらっと入ってきた。「カレーのいい匂いにつられて……」。男性は認知症で、家ではレトルトカレーを食べていると話した。後日、その男性が福祉施設に入所する前にえびねに招待し、笑顔でカレーを食べることができた。ある日、子ども食堂に80代の近所のお年寄りが住む家の前を通る時も、声掛けをして様子を気にかける。大きな困り事が起きる前に、自治体や病院につなげたいと考えるからだ。またある日のこと、鈴木さんが朝の通学路で子どもの見守りをしていると、一人の小学生がフラフラと歩いてくるのを見かけた。事情を聞けば「朝ごはんを食べていない」と言う。服装が1週間変わっていないことにも気付いた。それから毎朝、鈴木さんはその子のためにおにぎりを握った。休日は子どもを集めて、エコパ伊奈ヶ湖や美術館に連れて行くこともある。子ども食堂でも、防災学習やコンサートなどのイベントを開催している。さまざまな家庭の事情を抱えた子どもを間近で見てきた鈴木さんは、「みんなに楽しい経験をしてもらいたい。自分の環境が恵まれていないことに気付かない子どもたちもいるから……」と静かに語る。始めからボランティア活動に興味があったわけではない。ごく普通の専業主婦だったが、幼少期の食生活や経験の大切さを伝えたくて、子どもの問題に関わる講習会やセミナーに通った。2019年に子どもの居場所をつくる「桃の丘子どもを見守る会」を設立。それが現在の「子ども食堂えびね」につながっている。 「この活動ができるのは、支えてくれる家族やスタッフの仲間たちがいるからこそ。『えびねのためなら』と野菜を提供してくれる農家の方や、イベントに協力してくれる方もいます。本当に感謝しかありません。私は周りから幸せをもらって生きていると思います」誰かが困っていたら手を差し伸べたい。そう思っていても相手に伝わらないときもある。おせっかいだと言われて心が折れそうになることもある。でも、そんな時に心の支えにしている言葉がある。「涙また涼しよ生きてありにけり」ハンセン病と闘った俳人・村越化石の句だ。深い悲しみにとらわれず、自分の人生を生きていく。この句のおかげで、鈴木さんは「何       かが吹っ切れた」と話す。「いつか理解してもらえると信じて、悲しいことは言いません」さまざまな状況にある人々が、同じ食卓を囲むことで地域社会のつながりを育む――。その理念に共感した長崎知事が、今年6月の県議会でえびねの活動について触れたことも励みになった。昨年は入院も経験した。体力がもたないのではと弱気になった。でも仲間たちに励まされて活動を続ける。「私は人の役に立つ高齢者になりたいんです」。自分にできることはまだあるはずだから。おせっかいと言われても慎二さん(中央)とスタッフの吉野かな江さん(右)と共に思い出を語る鈴木さん「おいしかった」「また食べたい」と子どもからのメッセージ19

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