長所に光を当ててょう2013年、赤池さんは千葉大学を卒業し、教師となった。「40歳までに稼いで自分の理想の学校をつくりたい」と思うようになり、1年で教員を辞した。その後、起業について学ぶため、IT系ベンチャー企業に転職した。それからは、怒ど涛との日々を過ごした。平日昼間は会社の業務をこなし、夜は多くの起業家らと会食、ところが、教き鞭べをとるうちに土日は副業で訪問販売の仕事も始めた。2015年には、新規事業立ち上げのためにタイにも赴任した。忙しさのあまり「40歳で学校」の夢は忘れつつあった。「障害者就労支援事業を始めないか」──忙しい毎日を送る中、そんな声がかかった。「ふと、兄のことを思い出したんです。まるで、導かれているような気がしました」2017年には別の事業を続けながら、自身で障害者就労支援事業を故郷の山梨県で立ち上げた。現在のKEIPEだ。しかし、創業1年目で赤池さんに大きな壁が立ちはだかる。「どんどん人がやめてしまって。当時の離職率は83%でした」売上も芳しくなかった。「障害者施設だから」と、相場より安く発注する会社もあった。赤池さんは、そんな世間の風潮をなんとかしたいと一層仕事に奔走した。しかし、暗転する事態が起きた。激しい胸の痛み。動くことも困難になり、救急外来を受診した。「結核でした。それも、かなり悪い状態で……」それからは、1カ月半の入院と1年の療養生活を余儀なくされた。しかし、この体験が自分の人生を見つめ直すきっかけとなった。「今後は自分がやりたいことに注力しようと思ったんです。それは、兄のような人に、仕事を通じて社会復帰してもらうこと。つまり、KEIPEの活動だったんです」退院後、赤池さんは従業員を前に「障害を特別なものにせず、誰もがそこに居ていい社会にしたい」と涙ながらに思いを伝えた。2025年現在、KEIPEは飲食・商社事業にも裾野を広げ、年商10億に届く勢いだ。グループ全体で約140人のスタッフが働き、障害を持つ人は90人ほどいる。データ入力、デザイン、飲食店勤務など、能力や希望に応じて多様な業務に携わってもらっている。KEIPEの特色は、地域との関わりを大切にしている点だ。事業所も街の中心に置いた。そこで働く障害者の送迎もあえてしない。一緒に働く仲間として、会社にも街にも溶け込んでもらいたいと願っている。「KEIPEは、カンパニーではなくてコミュニティ」。そんな言葉に、赤池さんの障害者支援に対する価値観がにじむ。「実は、会社を立ち上げたころから、兄も回復しはじめたんです」現在は5人の子どもを育てるお父さんだという。「やっぱり、僕が見ていた〝ピュア〟な兄が本当の姿だった。だから、KEIPEは長所に光を当てる場所でありたい」赤池さんは力強く語った。ふれあい甲府市丸の内にあるKEIPE甲府オフィスで仲間たちとともに企業理念を記した「KEIPE BOOK」は、ver.3.0まで版を重ねている う ん 19vol.852025 SUMMER
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