「ここにいる人は誰も、私の過去について聞かないんです。話題に上るのは『好きな選手は?』などサッカーのことばかり。試合観戦中も、チームが得点したらハイタッチをしてくれた。『気持ち悪い』『触らないで』と避けられた過去がある私にとって、自分の居場所ができたのが、心地よくて」やがて、白鳥さんは引きこもりを克服した。「これまで、私は不登校の人と関わったことがありませんでした。白鳥さんをきっかけに、本人やご家族の思い、それを見守る先生や周囲の環境などを知ったんです」(井尻さん)その後も、ヴァンフォーレを訪れたことで、1人、2人と社会復帰を果たす人が現れた。「ヴァンフォーレを、みんなにとっての居場所にしたい」そんな思いが、井尻さんに募り始めた。井尻さんが生まれたのは、1974年の第二次ベビーブームの最中。入学した早稲田大学ではスポーツ新聞部に所属し、取材に奔走した。卒業後も、こうした仕事に就くものだと思っていた。しかし、井尻さんを就職氷河期の波が飲み込んだ。「友人の中でも、男性はテレビ局や出版社等のみんなが憧れる企業にどんどん就職を決めているのに、女性は、なかなかうまくいかなくて」なんとか掴んだのは、出版社の契約社員だった。その後も、編集プロダクション、広告代理店と渡り歩いたが、期限付きの雇用だった。そんな井尻さんを正社員で受け レだった。入れてくれたのは、ヴァンフォー「いつか、恩返しがしたいと思っていました」広報、営業とキャリアを重ねる傍ら、白鳥さんをはじめ、心の拠り所を探している人を支援した。そんな井尻さんが新たな契機に遭遇する。「やまなし女性Miraiクエスト」だ。プロジェクトの進め方を学べ、プレゼンを通過すれば、資金面のバックアップもあるという魅力もあった。募集を見た瞬間に「不登校問題の解決につながる提案をしよう」と参加することを決めた。「不登校の解消はもちろん、自分に自信をつけるためにも、この企画を通したい!そう思って挑みました」事業企画には「外に出るきっかけになれば」と、不登校の子たちにヴァンフォーレの試合を観戦できるチケットの配布を盛り込んだ。プロジェクトには、白鳥さんも協力してくれることになった。終業後も、休みの日も、頭の中は常にプレゼンのことでいっぱいの日が続いた。後日「合格」通知を受けた瞬間は、思わず胸が熱くなった。2022年10月16日、第102回天皇杯で、J2のヴァンフォーレがJ1のサンフレッチェ広島を破り、初優勝を飾った。その瞬間、たくさんのサポーターが互いに手を取り、抱き合った。「ふれあえるって、温かい。知らない人同士でも、同じものを見て、楽しんだり、感情を共有したりするって素敵なことなんです。配布するチケットが、そんな喜びを知ってもらえる『未来への切符』になれば嬉しいです」(井尻さん)人の「あたたかさ」を知ってほしいから天皇杯優勝のメダルを手に取る白鳥さん(左)と井尻さんヴァンフォーレのマスコットをあしらった水引。通信制高校で手芸の講師を務める白鳥さんが制作した(画像は白鳥さん提供)19
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