ふれあいvol82
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大学で学び直しが進みにくいんです。だから教えるときはパソコンも使います。授業を通じて、勉強のスタイルを教えたいと思っています」現役時代、過疎地域の早川町で働いた。教頭として赴任した早川北小の総児童数は11人。数年で4人程度に減ると予想されていた。この学校は、半世紀にわたって        子どもたちが地域の民話を創作劇として上演し続けていた。地域と一体化した教育活動の価値を感じて、「この小学校をなくしてはいけない」と思った。地域の良さを知らせるチラシを作り、保護者や教育委員会と東京で開かれる地域振興関連の展示会で配ったこともあった。早川北小の児童数は予想に反し、最後には18人にまで増えた。東京からの移住者が増えたことが原因だった。「昔から、教科書を忠実に教えるより、郷土にゆかりあるものを教材にするのが好きでした」2019年に定年を迎え、地元で地域の仕事をするようになった。そんな矢先、先輩に「学校現場は人手不足だ。君は家に畑もないんだから、もう一度学校で教えたらどうか?」と言われ、なぜかすんなり教壇に戻ることにした。翌20年から、フルタイムの再任用教員になった。久しぶりの学校現場は、保護者への対応、授業や行事の準備など、相変わらず大忙しだった。再任用教員だから重責を担うことはないと思っていたが、産休の教員の代わりに2年生の担任をし、校長や教頭を補佐する教務主任も務めた。言われたときは戸惑ったが、自分の経験や知識が役立てばいいと思い、引き受けた。「教師はみんな、“きれいな鏡”を程※に入学した。持った子どもたちの前に立ちます。私たちは、その鏡に映る自分の姿を見つめ、常に自分を律することができる。退職後に復帰して、その思いが一層強くなりました」澤登さんには別の仕事も回ってきた。それが外国籍児童への日本語教育だった。軽い気持ちで引き受けたが、難しかった。教科書がないから、どんなことをどう教えたらいいのか分からず、試行錯誤の毎日だった。そこで、22年4月、大学の通信教育制度を使い、日本語教員養成課「大学で学んだ前と後で授業内容はさほど変わっていません。でも、外国の人が理解しやすい日本語文法や、『ら行』が発音しにくい語音など体系的に学びました。教える目的もはっきりしたので、授業づくりが楽しくなりました」いま澤登さんが心配していることは、外国籍の子どもたちが進学の機会を失ってしまうのではないか、ということだ。山梨県内にはボランティアの日本語教室はある。だが、そこに通う子どもは少ない。「子どもはすぐに生活言語を体得します。でも、学校での教科学習に必要な学習言語は別のものだということを多くの日本人は気付いていません。学習言語を習得しなければテストの設問を理解することもできず、よい成績をあげられないんです。今後、日本で暮らす外国人は増えていきます。習得に5〜7年はかかる学習言語をしっかり教える仕組みをつくると同時に、私たち日本人社会が外国人との共生をもっと意識していかなくてはなりませんね」澤登さんは、この仕事を「倒れるまで続けたい」と思っている。外国籍の子どもたちが理解しやすいひらがなを用いて学ぶ※国家資格「登録日本語教員」は2024年度に創設予定。パソコンも活用して勉強のスタイルを学んでいく19

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