ふれあい特集号vol.54(デジタルブック版)
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 蚕糸産業が本県経済の中心となった明治以降、県内には群馬県の富岡製糸場に次ぐ国内2番目となる規模の県営勧業製糸場が建設されるほど、生糸の生産が盛んになりました。また、水晶研磨や微細な加工、美しい曲面を磨き上げる技術が飛躍的に向上し、ジュエリー産業が発展しました。鉄道網、道路網が十分に整備されていなかったこの時代は、重化学工業などの輸出型産業が港に近い地域で発達した一方で、内陸部に位置する本県では、こうした軽工業が中心的な産業となったのです。 昭和50年ごろになると、日本経済は高度経済成長期から安定経済成長期へと移行し、重化学工業中心の産業構造から、高度な加工技術が要求される電気・電子産業や精密機械・生産機械産業中心の産業構造へと徐々に変わっていきました。これにより、本県にとって、これまで培ってきた精密な加工技術や柔軟な生産体制が大きな強みとなったことに加え、昭和57年の中央自動車道全線開通により交通網が発達したこともあり、機械電子産業が山梨の基幹産業へと成長していったのです。 そんな時代の変化に素早く対応し県内企業の発展と地域経済振興を支えてきたのが、山梨県工業技術センターと山梨県富士工業技術センターです。それぞれのセンターでは、ワイン・ジュエリー・織物・機械電子などといった多様な分野において、地域に根差した先駆的な取り組みで、地域の企業に対し技術支援などを行ってきました。 今年4月からは、この2つのセンターが統合し「山梨県産業技術センター」として新たなスタートを切り、山梨のものづくり産業の支援をより一層強化するための取り組みを行っています。  04山梨のものづくり産業をより強固にするために中央自動車道に隣接して広がる国母工業団地。手前に見える中央の建物が山梨県産業技術センター(甲府市)中央自動車道 大月─勝沼開通セレモニー(昭和52年) 5年後の昭和57年には全線開通となる

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