ふれあい特集号vol.49(デジタルブック版)
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19山梨近代人物館山梨県庁舎別館2階(甲府市丸の内1-6-1)ふれあい〈記事監修〉山梨大学 名誉教授 齋藤康彦未来を切り拓いた郷土の誇りひ らオートバイを乗り回すハイカラな若者後世に引き継がれていく「甲州文庫」誕生戦火を免れた貴重な郷土資料群を山梨県へ譲渡開館時間 : 午前9時~午後5時休館日 : 第2・4火曜日/12月29日~1月3日入館料 : 無料TEL 055-231-0988 FAX 055-231-0991山梨県志編纂会との出会いから郷土資料の重要性を知る 功刀亀内は、1889(明治22)年、中巨摩郡豊村上今井(現・南アルプス市上今井)で蚕糸業を営む、功刀家の三男として生まれた。亀内は、豊村高等小学校を卒業すると家業を手伝うようになり信州への買い付けには、当時、日本ではまだ珍しかったオートバイを乗り回すなど、新しい物好きな一面もあった。 1919(大正8)年に結婚した亀内は、甲府市穴切町(現・甲府市宝)に転居。糸繭商を営むようになった亀内は江戸時代の甲州の飛脚制度に興味を抱き、甲府市百石町(現・甲府市丸の内)にあった山梨県志編纂会を訪ねた。県志編纂会は、甲州財閥の中心的存在だった若尾謹之助が1915(大正4)年に発足させたもので、文化年間に編纂された「甲斐国志」以降の甲斐国の歴史を記録する事業に取り組んでいた。亀内はそこで郷土歴史家・土屋夏堂から、山梨には郷土史研究の資料を収集する人も保存する場もないため旧家の蔵などから出てきても、散逸・破損してしまうと聞いた。古文書などの資料保存の重要性を認識した亀内は自ら収集を決意。幸運にも、3日後には、市内の山梨醤油会社の倉庫で醤油のたるに貼るための紙の束から、峡中新聞(山梨日日新聞の前身)を含む20種類以上の明治初年の新聞を発見し譲り受けた。また、その翌日には、土屋氏と訪ねた家で、くず物屋に出す麻袋の中から甲州生糸や飛脚に関する資料を発見した。 貴重な資料がいとも簡単に廃棄される現実に直面した亀内は、くず物問屋回りをしたり、入手できない資料は借りて来て写し取ったりと、使命感を持って資料収集にのめり込んだ。また、集めた資料の整理や分類にも精力的に取り組んだ。 1922(大正11)年、生糸価格の暴落を機に一家で荏原郡大崎町(現・品川区大崎)に転居した亀内は、布団業を開業した後も、資料の収集と整理・分類に励んだ。 1927(昭和2)年、亀内の手元に甲州に関わる資料が相当量集まったことから、自ら「甲州文庫」と命名した。1941(昭和16)年には、それまで集めた資料を整理・分類した「甲州文庫図書目録」を刊行。太平洋戦争の戦況が悪化すると、当時住んでいた東京市下谷区上野桜木町(現・台東区上野桜木)より山梨の生家へと「甲州文庫」を疎開させた。 1945(昭和20)年7月6日の甲府大空襲で多くの生命・財産と共に、貴重な歴史民俗資料が焼失したが、「甲州文庫」は戦火を免れ、同年11月に功刀家に戻された。 1949(昭和24)年10月、甲府市の松林軒ビルで開催された「甲府市制60周年記念郷土史展」に「甲州文庫」の一部が出品されると大評判となり、山梨県の文化向上のために県内で保存すべきとの誘致運動が盛り上がった。亀内はそれに応えるように、「甲州文庫」の譲渡を決意。1951(昭和26)年10月9日、2万2千点を超える資料が当時の山梨県立図書館に収められた。 1957(昭和32)年、亀内は68歳の生涯を閉じたが、「甲州文庫」は現在も第一級の郷土研究資料としてデジタル化され、県立博物館に大切に保管され、活用されている。第3回展示「近代山梨を築いた人々」期  間 : ~9月末日さんき ないしょうゆ

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