ふれあい特集号vol.41(デジタルブック版)
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知事 恵理さんの著作を基にしたNHK連続テレビ小説「花子とアン」が、非常に好評です。富士山やブドウ畑の風景、ワイン、ほうとう、それに甲州弁など、山梨の魅力が散りばめられているのも、とてもありがたいと思いますね。作者である恵理さんのところにも、いろいろな声が寄せられているんじゃないですか?村岡 放送が始まってから、本当にいろいろな方から生前の祖母の思い出などを伺う機会が増え、祖母はまだ多くの方の中で生きているんだと感動しました。そしてあらためて、すごくたくさんの種をまいた人だったんだと感じています。知事 今日の会場は、かつておばあさまが教師をされていた山梨英和中学校・高等学校ですが、いかがですか? 建て替えられてはいますが、このチャペルには当時の面影も残っているそうですよ。村岡 何となく、祖母の気配を感じるような気がします。ちょうど100年前、20歳で赴任した祖母は、妹のような生徒たちにせがまれて物語を語り聞かせる中で、彼女たちが心から物語を欲しているにもかかわらず、それにふさわしい文学がないことに気付きます。これが、その後の人生の指針になりました。知事 『赤毛のアン』に、「曲り角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」という有名な言葉がありますが、東京で文学者の道を歩みたかったおばあさまにとって、甲府での教師生活はまさに曲がり角の先。そしてそこは、夢につながる道だったのですね。恵理さんも、おばあさまの翻訳家としての礎は、甲府での教師時代に築かれたとお考えなのですよね?村岡 はい。祖母はその頃を「青春」と呼んでいます。実際に、いろいろな葛藤、恋や将来の悩みも抱えていて、そういう甘さも苦さも酸っぱさも入り混じった濃密な青春時代だったと思うんです。そしてまた、ここ山梨の豊かな自然環境も、祖母の創作意欲を刺激しました。佐佐木信綱門下の歌人でもあった祖母は、甲府時代に、周囲の自然に自分の心象を重ね合わせ花子に進むべき道を示した甲府での教師生活『赤毛のアン』の世界に重ね合わせた山梨の自然や文化山梨英和中学校・高等学校グリンバンクチャペルにて07ふれあいた歌を数多く詠んでいるのです。短歌で培った言葉としての日本語の感覚が、東洋英和で磨いた英語力とともに、祖母の翻訳家としての仕事の大きな礎になったと考えています。知事 『赤毛のアン』を翻訳される際にも、本の中に描かれている風景がおばあさまの記憶の中の山梨と重なることがあったのでしょうか?村岡 『赤毛のアン』の舞台はカナダのプリンス・エドワード島ですが、祖母は訪ねたことがありません。しかも、翻訳を進めたのは戦争中。そうしたことを考え合わせると、多分モンゴメリの文章から、子ども時代、青春時代を過ごした甲府の美しい自然の風景を思い浮かべていたのではないかと思います。実際、山梨で撮影された「花子とアン」の場面の中に、プリンス・エドワード島村岡花子が翻訳して、日本に初めて紹介した『赤毛のアン』の初版本(1952年5月 三笠書房)

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