ふれあい特集号vol.40(デジタルブック版)
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05[県立文学館] 甲府市貢川1-5-35TEL 055-235-8080 FAX 055-226-9032―日本に夢と希望を伝えた翻訳家―山梨英和女学校での教師時代の村岡花子(提供:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)村岡花子「赤毛のアン」翻訳原稿(山梨県立文学館寄託)赤毛のアン記念館・村岡花子文庫(東京・大森)に再現されている花子の仕事机 PHOTO:○K.HORIUCHI(提供:赤毛のアン記念館・村岡花子文庫)C村岡花子展 ことばの虹を架ける~山梨からアンの世界へ企画展 直筆の「赤毛のアン」翻訳原稿や、日本で初めて刊行された『赤毛のアン』初版本の他、花子の書簡や写真、短歌ノート、愛用の品などを展示。村岡花子の、波乱に満ちた生涯と文学の原点を探ってみませんか。 展示室の一角には、アンの部屋を再現しています。■開催期間 4月12日(土)~6月29日(日)■観 覧 料 一般 600円/大学生 400円 村岡花子「赤毛のアン」翻訳原稿(山梨県立文学館寄託)※各種割引などあり。詳しくはお問い合わせください。 村岡花子(本名・はな)は、1893(明治26)年、甲府市に生まれた。小学校入学前に東京に転居し、10歳の時東洋英和女学校に進学。このころにカナダ人宣教師から英語や西洋の生活習慣を学び、数多くの英米の文学に原書で親しんだことが、後に作家・翻訳家として活動していくための礎となった。同女学校を卒業後、1914(大正3)年、故郷・甲府の山梨英和女学校に赴任し、英語教師として教壇に立つ傍ら、作品集を出版したり、少女向けの物語や童話を雑誌に投稿したりした。後に、花子はこの教師時代を「青春」と呼んでいる。その後、東京に戻って編集者となり、結婚。文筆家としての活動を始めた。 英米文学の深い教養を生かして童話の執筆や翻訳を行っていた花子はやがてルーシー・モード・モンゴメリの名作『ANNE OF GREEN GABLES』と出会う。友人のカナダ人宣教師から贈られたこの本を、太平洋戦争の最中にあっても翻訳を続け、1952(昭和27)年、『赤毛のアン』として初めて日本に紹介した。そこには、人々に愛情を注ぎながら成長していく主人公・アンの姿が、軟らかな文章で生き生きと表現され、多くの日本人に夢と希望を与えた。 花子は、執筆や翻訳の他にも、ラジオの子供向けニュース番組に出演したり、恋や友情、さまざまな思いを、たくさんの短歌に託して表現したりと、幅広い活動を展開。75歳で亡くなるまで、数多くの作品を残した。 そして『赤毛のアン』は、刊行から60年以上を経た今日もなお、多くの人に読まれ、愛され続けている。花子が翻訳した『赤毛のアン』(1952年5月 三笠書房)初版本(山梨県立文学館寄託)4月12日から県立文学館で開催やまなし発展の芽

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