ふれあい特集号vol.31(デジタルブック版)
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ただよりゆうきそめいゆくはる 大正3(1914)年、春江は東京美術学校(現・東京芸術大学)日本画科に入学し、結城素明らに学ぶ。大正8(1919)年に首席で卒業し、その後も研究科に残り勉強を続け、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の講師となった。 大正10(1921)年、「春に生きんとす」が第2回帝展(現・日展)で初入選。この作品の制作中、恩師の中川忠順から「春江」の雅号が贈られた。昭和3(1928)年、第9回帝展で「趁春」が特選。昭和4(1929)年には、春江を生涯支え続けることとなる芳子夫人と結婚し、この年「明るきかぐのこの実」で連 明治26(1893)年、西山梨郡住吉村増坪(現・甲府市増坪町)に生まれた春江(本名・尚)は、幼い頃から草花や昆虫などを丹念に観察するのが何よりの楽しみだった。 山梨県立甲府中学校(現・甲府一高)時代は医師を目指して勉強に励み、特待生で卒業。医学大学への進学を目指して上京したが、その年の夏、春江が中学時代に描いた人物画を目にした美術史家 中川忠順の「君の絵は素晴らしい。ぜひとも画家になりなさい」という一言が、春江の心を突き動かし、「何より好きな画業の道を貫こう」と決心させた。草花や昆虫の写生に夢中になった少年時代「春に生きんとす」から生まれた雅号「春江」やまなしの偉人たち第7話 花や鳥など自然の生命力を見事に表し、写実的な中にも柔らかさのある独自の日本画を確立した望月春江。心を通して描き出したその作品は、現代画壇に新しい風を吹き込み今なお色鮮やかに輝きを放っている。ひさし望月 春江18931979四季の美を愛で    描き続けた日本画家もちづき しゅんこう14

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