vol.25(平成22年7月1日発行)
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 江戸時代に東郡で盛んになった養蚕業は、幕末の横浜開港で、生糸をいち早く海外に売り込んだ甲州商人の活躍により注目された。さらに明治時代には、製糸業が殖産興業政策によって県内各地に急速に拡大。需要の高まりと共に養蚕技術も発達し、生産高が全国上位を占め、また甲斐絹の原料になるなど、山梨県の主要産業の一つとなった。 戦時中下火になった養蚕は、戦後再び盛んになり、生産量の最盛期を迎える。しかし、その後生糸価格の低下などで次第に衰退し、多くの農家は養蚕から果樹栽培に切り替えた。近年、養蚕農家だった古民家の魅力が見直され、保存・再生する動きが広がっている。山梨県の近代発展を支えた原動力ひがしごおり蚕の繭作りに用いられるまぶしは、民家の中に並べられていた蚕の繭作りに用いられるまぶしは、民家の中に並べられていた養蚕は大量の桑の葉を必要とする養蚕は大量の桑の葉を必要とするふれあい13〈記事監修〉山梨大学 教育人間科学部教授 齋藤康彦

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