vol.20(平成21年3月31日発行)
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八ヶ岳をバックに広がる緑の牧草地で のんびり草を食む乳牛は清里の代表的な風景である。 美しい高原の景観は、戦前から進められた開拓地の人々の たゆまぬ努力の積み重ねでもあった。 ひたむきなその姿は、生産を増やし安定経営を目指した時代も、 若者が押し寄せた清里ブームの時代を経ても変わらない。 地元で採れた新鮮な牛乳、 安心できる原料から手作りした乳製品が、 酪農にかけた先人の夢を未来につなごうとしている。 YamanashiBrandやまなしブランド % 毎日飲まれ、食材としても欠かせない牛乳。乳牛の小規模な飼育は、明治初期には、すでに甲府の郊外で見られたが、県内で本格的な酪農生産が始まったのは、戦前の高冷地の乳牛飼育からだ。昭和40年代をピークに、現在、県内の乳牛頭数は5、000頭前後、飼育農家は100戸近い。全国的に見れば決して高い数字ではないが、八ヶ岳山麓の清里や富士山北麓の富士ケ嶺など特色ある生産地を形成している。 北杜市清里地区は、標高1、000メートルを超える高地。昭和13年、ここに奥多摩湖ダム建設による移転農家28戸が入植した。ポール・ラッシュ博士の指導による清泉寮を核とした清里農村センターの活動も酪農への大きな基盤になった。先進的な取り組みとして、大正末期から戦前にかけて、ホルスタイン、ジャージー種などの乳牛が開拓地に試験的に導入されたが、規模が拡大したのは戦後になってから。終戦後の引揚者など100戸余が緊急開拓事業で清里朝日ヶ丘、下念場、東念場地区に新たに入植し、原野が切り開かれた。昭和28年には一帯が集約酪農地域に指定され、米麦・養蚕に代わる酪農生産を目指して、ジャージー種をまず導入し、昭和34年からはホルスタイン種の本格的な導入が始まり、生産組合も結成された。優良な牛の導入が相次ぎ、飼 清里高原の清涼な空気の中に広がる牧場。美味しいミルクに欠かせないひとつの風景となっている。喜びが溢れる「牛乳生産365万キロ達成記念」の写真。MILK16

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