富士山公式ガイド2023日本語版
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荒ぶる山と美の源泉信仰のめばえ信仰の大衆化水の霊場巡り山頂へ至る道1123457誕 生遥 拝富士講巡 拝登 拝誕 生しら いと の たきみ  ほのまつ ばらひとあな  ふ じ こう い せき 本栖湖・精進湖・西湖の3つの湖は、遥か昔に「剗の海(セノウミ)」という1つの巨大な湖であり、忍野八海の周辺には忍野湖があったとみられている。これら太古の湖は、富士山の地下水や周辺の山々からの雨水の流入を溶岩が堰き止めて形成されたと考えられる。縄文時代中〜後期までに「河口湖」は新富士火山の噴火による溶岩の流入により現在の南岸の湖岸線が形成された。約5,000年以上前には「剗の海」に溶岩が流入し、「本栖湖」と「剗の海」に分断。そして西暦864年、貞観の噴火で流出した青木ヶ原溶岩流によって「剗の海」の大半を埋め、「西湖」と「精進湖」が誕生し、1,100〜1,400年前に流出した鷹丸尾溶岩流は川を堰き止め「山中湖」が誕生したといわれる。現在の麓の湖の姿は、富士山の噴火活動の変遷を映しだしてもいる。構成資産富士山の溶岩と地下水が生み出す水の絶景 アーチを描く幅200m、高さ20mの大岩壁を、滝が数百数千の筋状になって流れ落ちている。その水量のほとんどが、富士山に降った雨や雪が、水を透しやすい火山噴出物の層に染み込んで、不透水性の泥流の層との間を縫って長い歳月をかけ湧き出している、いわゆる富士山の地下水。一面に水しぶきをあげる滝の前に立つと、水をもたらす山としての富士山の一面を顕著に感じられる。富士山西麓で“富士の巻狩り”をした源頼朝も滝の美しさを和歌にして讃えている。 富士講の開祖といわれる行者「長谷川角行」が「人穴」での修行と並行して水行をした地として、富士講信者の巡礼の聖地にもなっていた。その様子が富士講関連の絵図などにも描かれている。構成資産神秘に包まれた富士講の開祖ゆかりの洞穴 「人穴」の名の由来は、溶岩洞穴の内部が、人の肋骨や乳房の形状に似ていることや、古代に人が住んでいたなどの説がある。16世紀に活躍した行者「長谷川角行」が、ここで千日の苦行を積んで悟りをひらき、後に入滅した地とも伝わる。そのため角行を開祖と崇める「富士講」の道者から聖地として重要視されて、修行や参拝などが熱心に行われていた。今残る233基の石の碑塔群が、その信仰の厚さを物語っている。人穴と遺跡群は現在、人穴浅間神社の境内になり、あたり一帯が深淵な雰囲気に包まれている。構成資産“芸術の源泉”としての富士山の発祥の地といえる景勝地 黒松林の続く美しい洲浜が、まるで富士山への架け橋のように伸びる景観は、古来から人々を魅了し文学や絵画に多数描かれてきた。奈良時代には日本最古の和歌集「万葉集」で詠われ、また「羽衣伝説」の舞台として語り継がれた。さらに江戸時代の浮世絵師・歌川広重による「駿河 三保の松原」をはじめ、以後も富士山を描く日本画の代表的な構図に三保松原は選ばれてきている。 さらに中世の富士山への参詣の様子がわかる室町期頃の作品「絹本著色富士曼荼羅図」にも三保松原が描かれているのも象徴的。“信仰の対象”としての富士山においても、三保松原が参詣路として重要な位置にあったことがわかる。荒ぶる山と美の源泉/ちょっと足をのばして 静岡県富士宮市・静岡市噴火による湖の誕生白糸ノ滝三保松原人穴富士講遺跡

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