1構成資産竜ヶ岳とダイヤモンド富士誕 生もと す こなく愛した写真家として知られる故岡田紅陽氏の作品「湖畔の春」である。 有史以前の古代にはどうであったろうか。富士五湖の周辺では、古くは縄文時代から、古墳時代、奈良•平安時代の遺跡が数多く見つかっている。それは荒ぶる火の山を畏れながらも共生し、麓に豊かにもたらされる水を求めて人々が住み着いていた証である。 古代の巨大な湖「剗の海(セノウミ)」から最初に分かれて誕生した本栖湖。その湖底から水中遺跡が見つかっている。富士山の噴火の影響で集落が水没したものと考えられ、主に古墳時代初頭の壺や高坏、縄文時代のものとみられる土器や石器も見つかっている。 いくたび湖や村が埋没しても、繰り返し富士山の麓で生きることを求めてきた古代の日本人も逆さ富士を愛でていたのかもしれない。 本栖湖北西岸の登山道を登ると「湖畔の春」の撮影ポイントとみられる中之倉峠がある。本栖湖の広がり、手前の竜ヶ岳、そびえる富士山の高さと稜線の美しさ、逆さ富士を映す湖の深みが、絶妙な調和をもって望める。岡田紅陽氏が人生をかけて見いだした至極の富士山を、今わたしたちも、ほぼ同じ構図で目にできるが、遥かな時間の中で刻々と姿を変えてきた富士山と湖からすれば、今この時代だけに見ることのできる絶景といえる。 本栖湖の南岸に接する標高1,485mの「竜ヶ岳」は、“千円札の富士山”の中にも登場している。本栖湖畔から登れる富士山眺望の山としても人気が高い。特に冬期には朝陽の「ダイヤモンド富士」を鑑賞できる。「ダイヤモンド富士」とは、太陽がちょうど富士山の頂きに重なってダイヤモンドのように輝く現象。夕陽の「ダイヤモンド富士」鑑賞スポットとして山中湖畔が有名だが、竜ヶ岳では鑑賞期間が12月下旬から1月上旬にあたるため、初日の竜ヶ岳からのダイヤモンド冨士出は、富士山と太陽が織りなす神々しい風景を拝めるので人気がある。 竜ヶ岳の名前の由来として、本栖湖の湖底に棲む竜の伝説が幾つかある。その一つに、竜ヶ岳は昔は「小富士」と呼ばれていたが、富士山の大爆発を予知した竜が、小富士の山頂に駆け昇って村人に告げて救ったことから、以来、竜ヶ岳と呼ばれ信仰されるようになったという。古来から日本人は富士山麓の湖に竜神の存在を見いだしていたのである。 波の穏やかな湖面に富士山の姿がくっきりと映し出される“逆さ富士”は、古くから日本人に愛でられてきた。富士五湖すべてで見られる絶景で、江戸時代の浮世絵師•■飾北斎の冨嶽三十六景など、絵画や文学作品にも描かれている。 なかでも、五湖のなかで最も深く、瑠璃色の湖水と称される本栖湖の逆さ富士は、主に春の凪ぎの日など、年に数回ほどしか見られない。また“千円札と旧五千円札の富士山”に採用されていることでも有名。デザインの元になったのが、大正から昭和に活躍し、富士山をこよ6荒ぶる山と美の源泉/せのうみ《富士五湖西部》エリア本栖湖湖底の水中遺跡が物語る霊峰富士と日本人とのつながり
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