富士山公式ガイド2023日本語版
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荒ぶる山と美の源泉信仰のめばえ信仰の大衆化水の霊場巡り山頂へ至る道12345誕 生遥 拝富士講巡 拝登 拝さんちょう   しん こう い せき ぐん天空の一大聖地が待っていた29中ノ茶屋付近のフジザクラ麓から山頂へ刻々と変化する富士山の自然(草山・木山・焼山) お山開きを迎える前の富士山の五月。吉田口登山道沿いの中ノ茶屋周辺の森では、「フジザクラ」の約2万本の群落が満開をむかえ、別名マメザクラとも乙女桜とも呼ばれる、淡い小さな花が一斉に咲きほころぶ。さらに自生する「レンゲツツジ」の群生も彩りを添え、富士山の麓はコノハナサクヤヒメを思わせる優しい自然の生命力に包まれる。 吉田口登山道でたどる五合目までの富士山は、不毛の地とも揶揄される一般的な富士山のイメージとは別世界だ。富士山の植生の特徴は「草山・木山・焼山」という言葉で表現され、赤褐色の山肌が露出した五合目から上は「焼山」にあたる。フジザクラの群生がある中ノ茶屋あたりは「草山」にあたり、江戸時代に植栽された樹齢250年以上のアカマツ林も立派なものだ。その先、幽境の地とされる“馬返し”からが、「木山」となる。カラマツやコメツガ、モミなどの原生林に包まれ、樹々の根や剥き出しの溶岩、点在する信仰の遺跡まで苔むして、富士山の懐に抱かれている気分になる。さらに天地の境とされる五合目が近くなると、樹々が低木化する“森林限界”特有の風景に変化。富士山が生んだ自然の芸術といった風景が待っている。構成資産 富士山の山頂は巨大な噴火口をとりまく峰でできている。吉田口と須走口の登山道は、このうちの「久須志岳(薬師ヶ嶽)・久須志神社(薬師堂)」に至りゴールとなる。しかし、江戸時代の富士登拝には、まだこの先があった。まずこの噴火口こそが、「内院」と称される富士山最大の聖域で、大日如来(浅間大神、浅間大菩薩)が座すとされた。さらに、とりまく八峰は、仏の台座である蓮の花弁にたとえて「八葉」と称され、各峰には「八葉九尊」の仏の名が冠されていた。峰のなかで最高峰の「剣ヶ峰」は平安時代に末代上人が大日寺を建立して以来、富士山信仰の発展とともに、寺院、鳥居、お堂や祠、石塔、梵鐘などが建立され、仏像や教典などが奉納された。 山頂に至った人々はここで、御来迎(ご来光)を拝したり、梵鐘を打ち鳴らしたり、また拝所から内院を拝んで賽銭を散銭するなど、さまざまな信仰行為を行なっていた。内院を囲む八つすべての峰を時計周りにめぐる「お鉢巡り」は、富士登拝の最後に待つ巡礼道だった。その後、明治時代の神仏分離令により、山頂の聖地を彩った仏教的施設や仏像は撤去され、八峰の名称も変えられるとことになった。火口に沿って残る信仰遺跡群は、かつて山頂一帯に広がっていたであろう、天空の一大聖地の面影を今に伝えるものである。 現在は、峰の頂上を通ることなく火口の周り約3kmを一周する「お鉢巡り」ができる。麓から一歩一歩登ってきた後であれば、なおさら、かつて富士信仰に時代に、人々の目に映っていたまま、少しも変わることのない霊峰の偉大な姿に触れることができるだろう。山頂の信仰遺跡群日本最高所に築かれた

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