富士山公式ガイド2023日本語版
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荒ぶる山と美の源泉信仰のめばえ信仰の大衆化水の霊場巡り山頂へ至る道123455構成資産 現在の富士登山道のなかでただ一つ、古来のままに麓から徒歩で山頂まで登れる「吉田口登山道」。富士山の北口に“吉田口”あり、と江戸時代にも最もたくさんの人が六根清浄を唱え山頂を目指した、富士講における由緒ただしき本道でもあった。登山道沿いには、禊ぎ場、神社、仏閣、茶屋、山小屋などが連なり、山頂の聖地にいたるまで、世界にも稀な富士山を対象とした壮大な信仰宇宙が形づくられていた。 1964年に富士スバルラインが開通し、五合目から下の登山道が急速に廃れてゆくなか、吉田口は守り残され、半世紀後の2013年、富士山の世界文化遺産登録に際し、その一翼を担うことになった。 「馬返」から五合目までが木山であり、五合目から上の富士山とは別世界。カラマツ、コメツガ、モミの瑞々しい原生の森に、朽ちかけた遺構群が埋もれるように点在して残り、まるで緑のタイムトンネルである。“富士山の道は一日にしてならず”を合い言葉に、まずは天地の境とされる五合目を目指してみよう。三合目と四合目からは爽快な眺望も広がり、ハイキングを楽しみながら、天へと向かう世界遺産の古道をたどることができる。誕 生遥 拝富士講巡 拝登 拝登 拝麓から山頂を目指した富士山信仰の古道27かつて大日如来が祀られていた、吉田口登山道で最初にある社の跡。大日如来は浅間明神の本地仏とされ、神仏習合の世界観があらわれている。富士登拝者が、早朝に上吉田の御師町を出立すると、ちょうどこの三合目で昼食をとることが多かったため「中食堂」と呼ばれたともいう。見晴らしも良い。四合五勺御座石井上小屋 小屋の横の大岩の上には、かつて御座石浅間の祠が祀られ、神様が依りつく神聖な石とされた。富士講の開祖とされる長谷川角行の修行の場としても伝えられる。一般に馬返は、道が険しくなり馬から徒歩に変わる地点。富士山では俗界と聖地との境界とされ、富士山の使いの二対の猿が出迎える。江戸時代には四軒の茶屋もあった。大黒天を祀る一軒の茶屋があった場所。現在、本尊の大黒天像は里に下ろされ、富士山の厳しい風雪に朽ちた祠跡が見られる。江戸時代末期の絵図から五合目には「中宮一之鳥居」があったとみられ、ここを境に中宮と呼ばれる聖域に入るものとして、「中宮役場」や「中宮三社」、多くの山小屋が集まっていた。二合目 冨士御室浅間神社富士山中で最初に勧請された浅間神社として伝わる。本殿は保存のために河口湖南岸の里宮に移築され、現在は山宮として小社が祀られ、拝殿が残されている。山頂へ至る道/吉田口登山道〜山頂よし  だ  ぐち と  ざん どう吉田口登山道江戸時代にも、最も多くの人が一合目鈴原社三合目中食堂馬返四合目大黒小屋跡五合目中宮 天地境

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