富士山公式ガイド2023日本語版
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荒ぶる山と美の源泉信仰のめばえ信仰の大衆化水の霊場巡り山頂へ至る道12345忍野富士響を受けた芸術家には、富士山画でも著名な巨匠•横山大観をはじめ、おなじく近代日本画の大家の川合玉堂や川端龍子、文豪の川端康成や徳富蘇峰といった名前があがる。それほどまで人を魅了する岡田紅陽の富士山の魅力とはなんであったろう。 紅陽は、最初は富士山の外貌の美しさに夢中だったのが、内面のほうに魅せられるようになったとも、また、征服してやろうという驕りは、教えを乞うという姿勢に変わったとも語っている。生涯で撮った富士山の写真は約40万枚。それでも晩年なお、“一枚として同じ富士は写していません。ましてや心の富士山はいまだ撮りえてはおりません”という言葉を残している。岡田紅陽にとって富士山を撮ることが、芸術行為でもあり信仰でもあったことが伝わってくる。 富士山の噴火活動が活発だった時代に、神話や仏教画や和歌などに描かれるその姿は、普遍的で象徴的なイメージであったかもしれない。 それが噴火活動のおさまる江戸時代以降からは、富士山はより身近な存在となり、日本画や小説、詩、音楽など様々な分野で、私的な富士山が追求されるようになっていく。 “富士こそわがいのち”、と語った写真家「岡田紅陽」が撮った富士山写真は、近代的な表現手法の写真を芸術の域にまで高めるものだった。紅陽と交流をもち影誕 生遥 拝富士講巡 拝登 拝23 昔から日本人が「忍野富士」に抱いたイメージは、茅葺き屋根、水田、水車、雪景色の農村など、ふる郷の原風景を思い起こすような素朴で清らかな富士山だった。新名庄川「お宮橋」付近の土手では、春には約100本のソメイヨシノの並木とともに白雪まぶしい忍野富士を望むことができる。忍野八海を巡りながら、今も忍野村のそこかしこに残る忍野富士を再発見してみたい。菖蒲池と石碑岡田紅陽写真美術館蔵ⓒk.minehiro〜信仰の対象・芸術の源泉〜岡田紅陽の富士山八大竜王名を標す石碑 本来の「元八湖」には霊場の番号や竜神名が刻まれた石碑が建ち、後に設けられた人工池などとの区別もできる。たとえば一番霊場「出口池」は“難陀竜王”、五番霊場の「湧池」は“徳叉迦竜王”などサンスクリット語が語源となっている。また八番霊場の「菖蒲池」には、池の菖蒲を身体に巻くことで病気が治ったなど、各池にまつわる伝説も記され興味深い。日本人がいかに自由な心で富士山の自然と共生していたかうかがい知ることができる。岡田紅陽写真美術館 富士山写真家として日本美術界に多大な影響を与えた岡田紅陽は、1916年に忍野村からの富士山に出会ったことで、その生涯を富士山の撮影に捧げることになった。常設展では、千円札の富士山の元となった「湖畔の春」をはじめ約50点の代表作を鑑賞できる。“忍野富士”を目の前に望む「四季の杜・おしの公園」内にある。

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