富士山公式ガイド2023日本語版
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巡 拝蒼く澄んだ八つの湧水は富士山の使い“八大竜王”の姿22御釜池おし の はっ かい湧池出口池底抜池菖蒲池水の霊場巡り/富士五湖東部エリア構成資産 「忍野八海」のある忍野村から望む富士山は、昔から「忍野富士」と愛でられてきた。ひときわ美しい富士山を望む集落から、こんこんと湧き出す透明な泉を、昔の日本人はどのように見ていたのだろう。 その湧水は、まず富士山に降った雨雪が、山体の奥深くに染みこみ、溶岩層の間を通って溶岩流の末端部分から湧き出している、というのが大まかな仕組み。十年、二十年という歳月じっくり溶岩層でろ過され、きれいに澄みきってミネラルを豊富にふくんだ、まさに命の泉。 そんな富士山の自然の営みが、ただ純粋に大いなる神秘として受け止められていた昔、八つの泉は、美しい恵みというだけでなく、“八大竜王”により守護された富士山の霊場であった。 “八海”という名称は、江戸時代の終わり頃に忍草(今の忍野村)に幾つも湧いていた湧水池から八つが霊場として選ばれ、富士山登拝前の禊ぎの水行として「元八湖めぐり」が行われたことからきている。八つの湧水池の配置は北極星と北斗七星の形をとっているともいう。「富士山根元八湖霊場」は元八湖信仰として、たいへん栄えたものの、明治期の廃仏毀釈以後、富士講とともに元八湖信仰は衰退をしていった。 かつての八大竜王は、今は忍野八海として「湧池」を中心に7つの湧水散策しながら巡ることができる。 2013年、「富士山世界文化遺産」の登録で忍野八海が構成資産になり、ふたたび各池の傍らに建つ石碑が注目されるようになった。石碑には、往時の霊場の番号、竜神名、泉にまつわる伝説や和歌などが刻まれており、富士講の時代にさかのぼって元八湖霊場を巡ることができる。もし時間に余裕があれば、中心地から少し離れた一番霊場の「出口池」から順に八湖を巡れば、自分の中に何かが生まれ増すのを感じられるかもしれない。4忍野八海

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