富士山公式ガイド2023日本語版
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荒ぶる山と美の源泉信仰のめばえ信仰の大衆化水の霊場巡り山頂へ至る道312345 恐ろしい噴火が鎮まってきた中世、富士山は他の日本の霊山と同じく、山中で山伏が厳しい修行をする、修験道の山になった。この時代には、南麓の大宮・村山口を拠点として、日本古来の山岳信仰と仏教が習合する「富士修験」が確立されていた。それは主に仏教者や修験者による厳かで深淵な富士信仰であった。14世紀頃から、極楽への往生を願い、多くの一般の人々も登拝を行ったが、これを、もっと庶民にも身近な信仰へと変えたのが戦国時代末期に登場した行者「長谷川角行」だった。角行は富士山麓の人穴で苦行を積み、富士山の神による法力を得て、現世での木造身禄像救いを求める庶民に応えたという。こうして富士信仰は大衆化され、江戸時代の「富士講」へと導かれていく。さらに江戸時代、角行の教えを継承する「食行身禄」が登場。身禄は角行のような法力ではなく、正直、慈悲、勤勉といった各自の日々の行いが、富士の神に届き、人は“生まれ増し”、またおのずと世直しが実現されると、誰にもわかりやすい富士信仰を説いた。また当時の政治体制に反抗し、“乞食身禄”と称されるほど質素な暮らしを貫きながら布教を続け、ついには富士山中での断食の末に入定。身禄の思想と実践は庶民の心をつかみ、今度は北麓を中心とした富士講の爆発的なブームが到来することとなった。誕 生遥 拝富士講巡 拝登 拝構成資産構成資産構成資産富士講じきぎょう み ろくむら やま せん げん じん じゃおお みや むら やま ぐち と ざん どうふ じ せん げん じん じゃすばしり ぐち と ざん どうふ じみやぐちすばしりせんげんじんじゃ す やま せん げん じん じゃす やまぐち          と ざん どうご てん ばぐち19 最も古い歴史がある「大宮・村山口登山道」は、表口登山道ともよばれた。「村山浅間神社(興法寺)」は、中世に始まった富士山修験道の拠点となり、山伏が入山する前に身を清めた水垢離場や護摩壇などが残されている。宝永火山にも近い登山道。須山浅間神社須山浅間神社 延暦の大噴火(802年)の際に須走の地に斎場を設け祈願したところ噴火が収まり、跡地に神社が建立されたと伝わる。須走口登山道は東口登山道として栄え、八合目で吉田口登山道と合流した。現在は五合目から山頂までが構成資産。 神社の創建は神代の時代に遡るとされる。宝永大噴火(1797年)により社殿と登山道は甚大な被害を受けた。後に再建復旧され南口登山道として栄えたが、御殿場口登山道の開通により衰退。現在は登山歩道として整備されている。村山浅間神社村山浅間神社冨士浅間神社冨士浅間神社信仰の大衆化/ちょっと足をのばして 静岡県富士宮市・須山市・御殿場市・小山町食行身禄と庶民信仰村山浅間神社と大宮•村山口(富士宮口)登山道冨士浅間神社(須走浅間神社)と須走口登山道須山浅間神社と須山口(御殿場口)登山道

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