富士山公式ガイド2023日本語版
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 「富士みち」は、その名のとおり富士山に通じる道。富士講の道者が江戸方面からはるばる富士山を目指した巡礼の道。江戸の日本橋を起点に甲州道中を大月で分岐、谷村や現在の西桂町などを通り、吉田の町の金鳥居へと通じていた。江戸八百八講といわれた各富士講は、数人から数十人の構成員が積み立てをしあって、毎年の代参者をクジや順番で決めていたという。選ばれれば一世一代の旅で、その旅は多分に遊行的な要素もあったらしい。日本橋からなら片道3〜4日。とっておきの酒をヒョウタンに仕込んだり、道中の風景や旅人同士の出会いなど、富士山への道のりをたっぷりと満喫していた。 富士みちは、現在の国道139号線にほぼ重なっていて、辿ってみれば、路傍に往時の古い道標や素朴な石仏を発見もできる。途中の「明見(あすみ)」は、■飾北斎の「冨嶽百景」に「阿須見村の不二」として描かれる地で、富士講の時代に「内八海巡り」が行われた「明見湖」もある。今は池一確立面に広がる美しいハスの花の名所になっている。富士講きたぐち ほん ぐう ふ じ せん げん じん じゃ富士山北口の中心に位置する荘厳な古社18冨士みちに残る石標西暦110年日本武尊が東征の折に立ち寄り、「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と言葉を残したと伝わる。北口本宮冨士浅間神社の発祥の地として、現在は日本武尊が祀られ、パワースポットとしても人気がある。本殿に向かって右手奥にある鳥居が、吉田口登山道の起点である「登山門」だ。富士山の歴史ある登山道のなかで今も唯一、麓から登ることができる。富士山の御山開きの前日には古式ゆかしい「御道開き」の神事が執り行われている。冨岳百景「阿須見村の不二」信仰の大衆化/富士吉田エリア「富士みち」一世一代の巡礼の旅を人々は楽しんだ大塚丘登山門構成資産 神社の起源は、日本武尊が東征のおり、今の神社から少し登った「大塚丘」で霊峰富士を遥拝したことから、ここに浅間大神を祀ったこととされ、およそ1900年の歴史があるといわれる。 富士山の度重なる噴火の中、781年の大噴火をうけ、788年に現在の地に、浅間大神を遷座し社殿を建立と伝えられる。その後の武田信玄をはじめ時代の権力者による造営が重ねられ、近世以降には、富士講により大造営が行われ現在の姿に至っている。 富士の遥拝所を示す、木造日本一の冨士山大鳥居、荘厳な建築の随神門や神楽殿、つづいて樹齢千年の御神木を両脇に配した拝殿が構え、その奥に国指定重要文化財の本殿が鎮座している。さらに、本殿の両脇には現存最古の東宮本殿(武田信玄造営)と西宮本殿、背後には富士を迎える恵毘寿神社がある。 杉桧の幽玄な杜にのびる参道の中ほどには、富士講の開祖とされる角行が富士を遥拝しながら荒行をした「立行石」があり、登山門付近に並ぶ石碑など、境内を巡れば北麓に栄えた富士信仰の豊かさをしのぶことができる。3北口本宮冨士浅間神社

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