荒ぶる火の神であった富士山は、遠くから遥拝する山であったし、日本一高い独立峰であるがゆえに、その気高く秀麗な姿を遠くからでも望むことができた。「富士見」とつく地名が関東を中心に広範囲に分布しているのは、遠くから望む富士がいかに日本人にとってありがたかったかを物語っている。また江戸時代に流行した風景版画にも、遠くから“望む富士”のオンパレードであった。なかでも■飾北斎の「冨嶽三十六景」に描かれた望む富士は、富士と浮世絵を世界に知らしめ、ゴッホなど著名な芸術家にも大きな影響を与えた。代表作に巨大な波と富士を描いた『神奈川沖浪裏』や、画面一杯に堂々たる赤富士を描いた『凱風快晴』」がある。この凱風快晴が描かれたのは、「三ッ峠」ではないかという人もいる。三ッ峠は御坂峠や河口湖畔からアクセスできる富士見の山として名高く、真実はともかく、標高1,785mの山頂から望む富士山を日本一と称する人は多い。太宰治も小説「富嶽百景」の中で三ッ峠に登っている。また三ッ峠に通った富士山写真家の岡田紅陽は「富士山は、遠ければ遠いほど、高ければ高いほど秀麗に見える」と語っていた。遠方から望む富士は、日本的な美意識のあらわれともいえる。遥 拝やま みや せん げん じん じゃふ じ さんほんぐう せんげん たいしゃ14構成資産原初の祈りの形を今に伝える最古の浅間神社 神社にあるはずの本殿や拝殿はなく、富士山を直接に仰ぐ遥拝所として、溶岩を用いた石塁が巡らされている。富士山そのものをご神体とする富士山信仰の原初の形が、ここには今も残されている。日本古来の自然崇拝の姿を見ることができるのも貴重だ。浅間神社の総本宮「富士山本宮浅間大社」が建立される以前の“元宮”であったとされる。この最古の聖地には、本殿を造ろうとすると、風の神の祟りがあるという伝説もある。潔いほどに純粋無垢な祈りの空間から仰ぐ富士山は不思議により大きく、またより親しみ深く感じられる。構成資産富士山の美しい湧水を境内に抱く全国の浅間神社の総本宮 全国にある浅間神社の総本宮であり、富士山の噴火を鎮めるため浅間大神を祀ったのが神社の起源。社記によれば、第7代孝霊天皇の御代に富士山の大噴火で国中が荒れ、垂仁天皇3年(紀元前27年)に“山足の地”に浅間大神が祀られたという。次いで山宮の地に遷座され、さらに現在の大宮の地に遷されたのは大同元年(806)、坂上田村麿により社殿が造営されたと伝わる。 この大宮の地には、富士山の湧水「湧玉池」がこんこんと湧き出していて、荒ぶる富士山を同じ富士山の水徳でもって鎮めようとしたことがわかる。現在の二階建ての「浅間造」(せんげんづくり)の社殿は江戸時代に徳川家康により建立されたもの。三ッ峠より望む富士信仰のめばえ/ちょっと足をのばして 静岡県富士宮市望む富士(北斎の「凱風快晴」と「三ッ峠」)山宮浅間神社富士山本宮浅間大社2
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