河口湖産屋ヶ崎2構成資産 御坂峠天下茶屋、産屋ヶ崎、大石公園など、「新富嶽百景(山梨県選定)」をはじめ富士山の絶景ビューポイントに、その名が数多く連なる河口湖は、古代からずっと山麓屈指の富士山の遥拝地だったとみられる。 湖周辺からは「鵜ノ島遺跡」をはじめ、縄文時代〜平安時代の遺跡も数多く見つかっており、その歴史は有史以前にさかのぼる。また中世には、富士浅間信仰の北麓の玄関口となり、そのため千年以上の歴史をもつ古社が河口には2社もある。 観光地として華やぐ湖畔をゆっくり巡ってみれば、富士山を遥拝しながら、畏れ、信仰し、称え愛でてきた日本人の足跡がそこかしこに発見できる。 江戸期の『富士山道しるべ』では、“甲州第一の大湖”として河口湖からの富士山の眺望が称えられている。古代には富士山は登る山でなく、仰ぎ見る霊山だった。噴火が鎮まり、信仰という形で富士登山の幕が開いてからも、遠くから望む富士山の素晴らしさを日本人は称え続けた。荒ぶる神山から白肌まぶしい女神の山となった富士山を、麓の湖水や桜といった山麓の美しい自然ともに愛でられる好展望地が河口湖だった。 太宰治の『富嶽百景』、谷崎潤一郎の『細雪』をはじめ、松尾芭蕉の『野ざらし紀行』、田中冬二の『スープに浮かんだ富士』、中村星湖の『少年行』といった名だたる作家•文人の句碑も湖畔を中心に点在している。それらの作品を手に、あらためて湖畔から霊峰を望んでみれば、この眺めが、古来からいかに深く日本人の精神性に根づいてきたかがわかる気がする。 それは今も変わらず桜や紅葉が盛りの季節、湖畔に点在する絶景の聖地には、カメラを手にした人たちが、湖と霊山の輝かんばかりの姿をおさめようと集まってくる。遥 拝かわ ぐち こ古代から日本人の心をとらえてきた河口湖からの富士 12 満開の桜ごしに望む湖と真っ白い雪をかぶった富士山…。「産屋ヶ崎」は、“河口湖の富士山”の代名詞的な風景に出会える名所。この河口湖北岸の小さな岬には、富士山を愛した写真家「岡田紅陽」のレリーフや、河口湖出身の文人「中村星湖」、この地を訪れた「松尾芭蕉」の句碑などが、ところ狭しと集っている。 そんな岬の突端の岩場の上に、見落としそうな小さな祠がある。よく見れば富士山の溶岩でできた祠は「河口浅間神社」の末社で、ご祭神は、富士山の神様「木花開耶姫命」が火の中で生み落とした「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)と、海神(ワタツミ)の娘の「豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)。古代神話にも登場する「山彦」と「乙姫」が結ばれ、この岬に「産屋」を作ってお産をした。ちょうど桜の咲くころ行われる「孫見祭り」では、木花開耶姫が孫の誕生を祝って渡ってこられる。あわせて河口浅間神社では「河口の稚児の舞」(国指定重要無形民俗文化財)が奉納される。桜が美しい岬には、山と海、火と水による創造神話という古代日本人の奥深い世界観もつまっている。富士山写真家の祖、岡田紅陽の碑も産屋ヶ崎にある彦火火出見尊と豊玉姫命が祀られた祠信仰のめばえ/河口湖エリア河口湖
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