やまなし県のあらまし2016(デジタルブック版)
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9先人Forerunner甲州市生まれ。甲州財閥の一人。明治の文明開化の中で常に時代の先を読み、鉄道や製鉄業などの経営に手腕を振るい、甲武鉄道(現・JR中央本線の一部)の取締役となる。また、国の発展のために社会的事業にも取り組んだ。雨あめみや宮敬けいじろう次郎 (1846-1911) 韮崎市生まれ。阪急グループ創設者で、鉄道を拠点とした都市開発モデルを生み出した。阪急電鉄をはじめ、日本初のターミナル・デパートや東宝映画、宝塚歌劇団など数々の事業を立ち上げた。小こばやし林一いちぞう三 (1873-1957)笛吹市生まれ。ロンドンで地下鉄事業を学び、東洋初となる地下鉄の“生みの親”となる。生涯を懸けて挑んだ地下鉄は発展を続け、首都の大動脈・東京メトロとして、今も多くの人々を運んでいる。早はやかわ川徳のりつぐ次 (1881-1942) 南アルプス市生まれ。甲州財閥の中心人物。天てんびん秤棒から身を起こし一代で東京の電力や市電を支配するほどの財を成す。第十国立銀行(山梨中央銀行の前身)の取締役や初代甲府市長、県内初の貴族院議員となり活躍した。若わかお尾逸いっぺい平 (1820-1913) 笛吹市生まれ。ハンセン病患者救済に生涯をささげた医師。瀬戸内海に浮かぶ小島のハンセン病療養所「長島愛生園」で7年間を過ごし、体験記『小島の春』を著した。同著は、のちに映画化され大ロングランとなった。小おがわ川正まさこ子 (1902-1943) 東京都生まれ。幼少期から高校時代を山梨県で過ごした。戦後、衆議院議員となり第一次吉田内閣で大蔵大臣、第一次鳩山内閣では通商産業大臣を務める。1956(昭和31)年には第55代内閣総理大臣に就任した。石いしばし橋湛たんざん山 (1884-1973)山梨市生まれ。甲州財閥の一人。東武鉄道など全国の鉄道会社経営に関わり「鉄道王」と呼ばれた。文化振興にも大きく貢献し、山梨県内の全小学校にピアノを寄贈。「根津ピアノ」の愛称で、今も親しまれている。根ねづ津嘉かいちろう一郎 (1860-1940)熊本県生まれ。14年間、山梨県の県令(県知事)として、県営勧業製糸場建設、葡ぶどう萄・葡萄酒生産の振興、甲州街道の改修など殖産興業を推し進めた。教育にも力を注ぎ、擬洋風建築の校舎は「藤村式」と呼ばれている。藤ふじむら村紫しろう朗 (1845-1909) 甲州市生まれ。国産ワインの礎を築いた。日本初のワイン醸造会社「大日本山梨葡萄酒会社」が設立された年、フランスに留学し、本場の葡萄栽培法・葡萄酒醸造法を学び、帰国後、普及に努めた。高たかの野正まさなり誠(左)(1852-1923)土つちや屋龍りゅうけん憲 (右)(1859-1940)南アルプス市生まれ。建築構造技術者・学者。東京タワー、大阪通天閣、名古屋テレビ塔など、多くの塔を設計し、「耐震構造の父」「塔博士」と呼ばれた。山梨県庁本館や県民会館の設計も手掛けた。内ないとう藤多たちゅう仲(1886-1970)山梨中銀金融資料館蔵東武博物館提供個人蔵個人蔵山梨中銀金融資料館蔵甲州市提供笛吹市教育委員会提供石橋湛山記念財団蔵阪急電鉄株式会社提供 明治時代から戦前までの間、山梨県の発展に貢献した人物、国内外で活躍した山梨ゆかりの人物

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