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更新日:2009年2月1日
***「富士の国やまなし」には、感動がいっぱい!***
県民の皆様から、ふるさと山梨に関して伝えておきたいことや自慢話など、とっておきの「感動」を募集しました。
多くの応募作品の中から、よりすぐりのものを紹介します。
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やまなし感動再発見(浅川巧のこと)
■解説■
浅川巧(たくみ)が生まれた北杜市高根町五町田は山梨県の北西部にあり、北は八ヶ岳連峰、南西は甲斐駒ヶ岳から連なる南アルプスなど、美しい山岳景観を楽しめます。
生誕の地の近くに浅川伯教(のりたか)・巧兄弟資料館があり、朝鮮に渡り活躍した浅川兄弟の功績を知ることができます。
■交通■
・JR中央本線長坂駅-タクシー10分→浅川伯教・巧兄弟資料館
・中央自動車道長坂IC-5分→浅川伯教・巧兄弟資料館
■応募者より■
私は6年前、浅川巧が生まれた高根町に移住して来ました。ここに住むようになって初めて浅川巧の業績を知る事になりましたが深く知れば知るほどその生き方や人柄に感動を覚えました。
浅川巧は、日本が朝鮮を植民地支配していた時代、朝鮮総督府の山林課技師として朝鮮半島の山に植林する仕事の傍ら、白磁の壺をはじめとする民芸品に高い価値を認め、民芸家の柳宗悦を通して、日本に朝鮮の民芸品を知らせる役割を果たしています。
当時日本人は、朝鮮の歴史や文化を深く知ろうとはせず、朝鮮人を差別し、資源を奪い、過酷な支配を続けました。そのような時代の中にあって、巧は、朝鮮語を使い、朝鮮の服を着、朝鮮の文化を大切にし、彼らと全く対等に接しています。或る時など、朝鮮の服を着ている巧を朝鮮人だと思った日本軍人が、あっちへ行けとひどく侮辱した時、彼は自分が日本人であると名乗り出ようとはせず、黙ってその辱しめをうけています。いつも痛めつけられている朝鮮人の心を思い、自分も同じように痛もうとする巧のこうした生き方は、クリスチャンであった彼が信じていたキリストの十字架の愛を思わせるもので実に感動的です。
彼は40歳の若さで肺炎のため急逝しますが、多くの朝鮮人が彼の死を嘆き悲しみ丁重に墓に葬ったということです。今、彼の墓は韓国ソウル市外の忘憂里の丘にありますが、墓碑には韓国語で「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」と刻まれています。
世界に紛争が絶えず、憎しみと不信のはびこるこの時代にあって、彼の生き方は、私達に多くのことを語っています。平和の原点はここに有ると言っても過言ではないでしょう。山梨県にこのような人が居たことを私達は誇りにしたいと思います。
リリース日:2006年3月10日
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交通のご案内(クリックすると拡大します) |
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甲府市丸の内1-6-1 南別館1F
TEL:055(223)1557
FAX:055(223)1558
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