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更新日:2009年2月1日

やまなし感動再発見(小川正子)

経緯

***「富士の国やまなし」には、感動がいっぱい!***
 県民の皆様から、ふるさと山梨に関して伝えておきたいことや自慢話など、とっておきの「感動」を募集しました。
 多くの応募作品の中から、よりすぐりのものを紹介します。

詳細内容

小川正子の写真(JPG:93KB) やまなし感動再発見(小川正子)

■解説■
 小川正子記念館の周辺は桃畑が広がっており、4月には一面に桃の花が咲き誇りますので、散策してみてはいかが。

■交通■
・JR中央本線春日居町駅-徒歩20分→小川正子記念館
・中央自動車道一宮御坂IC-15分→小川正子記念館

■応募者より■
 小川正子は、1902年、笛吹市春日居町桑戸(くわど)で生まれました。
 医学を志し、東京女子医学専門学校へ入学、1929年、卒業間際にハンセン病患者が入院している全生(ぜんせい)病院等を見学し、ハンセン病患者救済活動の意思を固めました。ハンセン病は現在の医学では内服薬の投与により治る病気になりましたが、1930年代には治療方法もなく不治の難病と恐れられていました。
 正子は1932年、長島愛生園(ながしまあいせいえん)を訪ね、医官として採用されました。長島愛生園は岡山県瀬戸内市にあり、国立ハンセン病療養所第1号として1930年に設置された施設です。正子は長島愛生園での診察のあいまに高知・徳島・岡山県に検診に出かけ、訪問先ではハンセン病の治療・予防方法等を説明して回りました。
 1938年、正子は過労から肺結核になり、長島愛生園で闘病生活を送りながら、それまでの活動記録をまとめました。それが手記『小島の春』です。この手記は出版されベストセラーになり、その後、映画『小島の春』が公開されました。
 正子は故郷に帰り療養生活を送りますが、1943年に41歳で永眠し、遺言により桑戸の佛念寺(ぶつねんじ)に埋葬されました。墓石の裏面には『生きてゆく日に愛と正義の十字路に立たば 必ず愛の道に就け』と刻まれています。正子はこの言葉を大切にしていました。正子が持っていた聖書にも直筆でこの言葉が書かれています。また、墓地の一角には正子の同級生が建てた歌碑等もあり、多くの参拝者が訪れています。

関連サイト

リリース日:2006年3月9日

交通のご案内(クリックすると拡大します)(JPG:32KB)
交通のご案内(クリックすると拡大します)

観光部観光振興課

甲府市丸の内1-6-1 南別館1F
TEL:055(223)1557
FAX:055(223)1558

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